• OVERHEAT MUSIC

ベスト盤を出すヒマなどなかった。
—-MUTE BEATとあの時代。


Text by 川勝正幸 – Msayuki Kawakatsu

 日本初のインストゥルメンタル・ダブ・バンド! MUTE BEAT(1982〜89年)が、解散後22年目にして初のベスト盤『The Best of MUTE BEAT』 をリリースする。

 選曲は、小玉(現・こだま)和文(トランペット)、増井朗人(トロンボーン)、松永孝義(ベース)、Dub Master X a.k.a. 宮崎泉(ダブ・ミックス)、屋敷豪太(ドラムス)、今井秀行(ドラムス)、朝本浩文(キーボード)、エマーソン北村(キーボード)、内藤幸也(ギター)による、そう、つまり、なんとMUTE BEATの7年間の活動に参加したほぼ全メンバー9人。しかも、厳正なる投票をまとめた結果の10曲。それに、OVERHEATの石井“EC”志津男がセレクトした「Something Special(with Gladdy)」というレア音源(日本のレーベルが初めてジャマイカでリリースしたGladstone “Gladdy”Anderson/MUTE BEAT名義の7インチ)を加えた全11曲だという。

ところで、“ほぼ”と書いたのは、まず、MUTE BEATの母体となったルード・フラワー時代からのべースで、MUTE BEATというバンド名の命名者である松元隆乃が選曲には参加していないこと。それから、日本初のクラブ“ピテカン”こと原宿<ピテカントロプス・エレクトス>(82〜84年)で演奏していた頃の、初期のMUTE BEATには、東京ブラボーの坂本みつわもキーボードを弾いていたことがあったからだ。
 しかし、それにつけても、MUTE BEATについて書こうとすると、やたら“初”という文字を使ってしまう。野暮を承知で触れるならば、バンドのメンバーにダブミキサーがいる! というのは、おそらく世界初ではあるまいか。

Coffia PV


 筆者は、“ピテカン”で初期のMUTE BEATを観て、カセット・マガジン『TRA』からリリースされた、葉巻の箱を模したパッケージに入っていたカセット・テープ『MUTE BEAT』(85年)も聴いていたけれど、自分の耳のほうがまだ進化していなかった。MUTE BEATの真価が分かった! とリアルに思ったのは、“東京ソイ・ソース”(86〜88年)というムーヴメントに、初期はスタッフの一人として、その後は一人のオーディエンスとして立ち会ってからである。
 MUTE BEATのダブをナマで観たおかげで、自分は、音楽が知覚の扉を開け、音のつぶてがメタファーではなく身体に当たること体感することができたのだ。

 “東京ソイ・ソース”の第1回は、86年9月、渋谷<ライブイン>で。第2回は、同年12月、<インクスティック芝浦ファクトリー>で。以後、“芝浦インク”をホームに開催していく。

 毎回、S-Ken & Hot Bomboms、Jagatara、Tomatos、MUTE BEATの4バンドが演奏する。大所帯率が高いこともあり、セット・チェンジに時間がかかるので、バンドとバンドの間には、タイニー・パンクス(高木完+藤原ヒロシ)、いとうせいこう、ランキータクシーら、DJ/MC/レゲエDJが登場した。

“東京ソイ・ソース”の言いだしっぺは、S-Ken(現・音楽プロデューサー)である。彼はS-Kenという名のパンク・バンドを結成し、フリクション、リザード、ミスター・カイト、ミラーズと共闘して“東京ロッカーズ”(78〜79年)と名乗り、日本のパンク・ムーヴメントを牽引する。ところが、84年、S-Ken & Hot Bombomsを結成。その音楽性はサルサ、レゲエ、カリプソ、メレンゲ、サンバ、ニューオリンズ、R&B、ブガルー……世界中の街場のビートを、新旧問わず、今の東京人として消化しよう! という冒険であった。そこに、“異人都市Tokyo”で生活するハードボイルドな男目線の言葉が乗った。しかも、サイバーパンクへの日本からの回答といった側面もあった。

 振り返えれば、86年、江戸アケミ(ヴォーカル)は音楽活動を再開し、バンド名を“じゃがたら”からJagataraへ改名。OTO(ギター)をはじめとするメンバーはアフロ/ファンクを基調とする、“日本人て暗いね 性格が暗いね”なんて言わせない鉄壁なサウンドを構築し、そこに江戸アケミの挑発とユーモアが共存する歌が乗った。MCも緊張と緩和の連続だった。

 83年、松竹谷清が結成したTomatosも、カリプソ、ロック・ステディ、レゲエ……とカリブ海のビートを咀嚼した音楽に、松竹谷清のシャイとロマンチックが共存するヴォーカルが乗った。

 しかも、当時、Tomatosには、JagataraのEbby(ギター)とナベ(ベース)が参加していた。S-Ken & Hot Bombomsのヤヒロトモヒロ(パーカッション)は、Jagataraのメンバーでもあった。

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