• OVERHEAT MUSIC

JESSE ROYAL


Interview by Ichiro Suganuma Photo by EC

「Modern Day Judas」のヒットやMajor LazerのWalshy Fireによるミックステーブ「Royally Speaking」のリリースなどもあり、ルーツ・リヴァイバルの中で頭角を現してきたアーティスト、ジェシー・ロイアル。最近ではGachapanとのEP「HOPE & LOVE」が日本先行でリリースされたばかり。9月26日の「ソウル・レベル」に出演。

石井 (以下、EC):今年のRebel SaluteとKingston Dub Clubでも会ったね。

Jesse Royal (以下、J) :そう覚えてるよ。ジャマイカにはよく来るんだね。

EC::84年から70回以上は行ってるし、90年代にはThriller U(現L.U.S.T.)のマネージメントを数年間やって6枚のアルバムと沢山のシングルをリリースしたし、友達も沢山いて大好きな国だよ。

●︎もうすぐジェシーが出る「ソウルレベル」なんだけど、いつもは日本人だけだけど、2007年の1度だけWayne Smithが出演したんだ。完全なシークレットゲストで、出演者もバンドも誰も知らなかった。

J:2007年?最近? グッドなショウだったのか?(映像をみて)ワォ!、自分の記憶とはちがうね。ドレッドにする前を覚えてるよ。バンドも彼が来るって知らされてなかったのか?女性のキーボードだね。

オカマイ:HOME GROWNはShabba Ranksとか色々なアーティストのバックもやったりしてるのよ。

●︎この年はこのまま「スレンテン」でオールキャストのラバダブ・ショウに突入、スゴかったよ。では改めて、簡単な自己紹介を。

J: St. James出身、父がMaroon、母方はOrangeでシティの外のカントリーサイドだ。父が95年くらいにモンティゴベイからキングストンに移り住んで母と自分と兄弟は97年に父のいるキングストンに移った。高校まではそこにいて、卒業してモンティゴベイに戻って農場で働いたりして、その後1年半ほどカナダの学校に行ってたんだけどうまくいかず、ジャマイカにまた戻ってきたんだ。

●︎音楽はどうやってかかわるようになったの?

J: 自分の祖母が聖歌隊のディレクターでモンティゴベイのバプティスト教会でオルガンを弾いていたから祖母と一緒に5〜6歳の頃はいつも聖歌隊の練習に行っていた。そこでたくさんの曲や音楽を学んだんだよ。母もシンガーで、今でも聖歌隊でうたっているよ。キングストンで学校に通うようになってから、Ziggy Marleyの息子のDanielと友達になって、リリースされる前のZiggyの曲を彼が歌ってくれたりして誰よりも早く聞けたんだ。だんだん音楽が好きだっていう事に気づきはじめたんだけど、最初は本気というよりは楽しみだった。ReasonとかFruity Loopsとかを使ってリズムトラックを作ってデモも録音もしたよ。ただのリビングルームでね。それが音楽キャリアの始まりかな。そうやって14、15歳ぐらいになってだんだん真剣に音楽に対しての姿勢や技術が育って、その時の経験が今はPalace Pikneyというレーベルを始める糧になっている。Danielってやつと「This Morning」のプロデューサーCurtとCrash Dummy Productionsの3人だった。
カナダから戻ってきて、人生にはやらなければいけない事があってそれをしないと幸せになれない、とそう思うようになり音楽を真剣にやるようになったんだ。Philip ‘Fatis’ Burrell(Xterminatorレーベル)の息子、Kareem ‘Remus’とはフットボールを一緒にやる仲で彼も音楽を作っていて一緒にやるようになった。その後、アンクルFatisが俺たちをフックアップしてくれて今までにない力を与えてくれた。アンクルFatisはとても素晴らしい影響を与えてくれた。2009年ごろだったかな。
 最初は従兄弟のDJ TALL UPと自分たちの曲でミックス・テープを一晩で作ったんだ。いつも録音していたから曲はたくさんあって、最初の『Misheni』と『Small Axe』の2つのミックス・テープができた。誰もチャンスをくれないし、誰も自分たちの音楽に無関心だったからとにかく聴いて欲しくて作ったんだ。ラジオで流すとかじゃなく、ただ同世代に自分たちのメッセージを伝えるにはミック・ステープを作るしかなかった。無鉄砲だったかもしれないけどそんなことは関係なかった。

●︎「Modern Day Judas」はどうやってヒットしたのですか?

J:どうやってヒット曲が生まれるのかは分からないけど、あの曲のヴァイブレーションはOverstand EntertainmentのプロデューサーWinter Jamesがくれたんだ。WinterはDamian Marleyのキーボードを担当していたりする知り合いで、ある時ライブの際にキーボードを弾いてくれたんだ。そのショウの後、すごく褒めてくれて、リズム・トラックがいくつかあるからそれで歌うように勧めてくれてその一つがRootsman Riddimだったんだ。1週間後にBig Yard Studioでレコーディングしたんだけど、こんなにヒットする楽曲になるとは思っていなかった。とても個人的なリリックで、人が優しさを弱さに捉えたり、謙遜を愚行だと思ったりするそういうところからこの曲ができている。ライブでこの曲を歌っていたら、みんなが反応し始めていつの間にかラジオでもプレイされるようになったんだ。

▼▼次のページへ▼▼


ページ: 1 2