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さんピンCAMP (ECD×RYUZO)


Interview by 平井有太(マン) Photo by EC

 7月6日、渋谷道玄坂を登っていると、当日はANARCHYの新アルバム「BLKFLG」発売日で、たまたま宣伝カーとすれ違った。向かった先は、神泉にあるR-RATEDオフィス。目的は4日後、20年ぶりに開催される「さんピンCAMP20」について、1996年と今年の新旧プロデューサー、ECD×RYUZOの1万字対談。それにしても、狙ったわけもないのに、開催は天下分け目の参議院選挙と同日。20年の年月を経てなお色褪せず、変わらずウルトラマグネティック=強力な磁力を発している、「さんピンCAMP」に迫った。

●「さんピンCAMP20」開催、4日前です。

RYUZO(以下、R):avexが2年くらい前くらいから、「20周年なんですよ、再来年」とか言っとるから、それは「勝手に、ヒップホップシーンにいない奴らがやっちゃダメでしょ?」という話じゃないですか。それで、「最初やらはった人に確認とってからにしろ」と言って、一緒に話に行ったんです。

ECD(以下、E):野音自体は、事前にとってあったんだよね?どっちみち、1年前からしかとれないし。

R:それも、「当たっちゃった」んです。「当たっちゃった」から、「これはもう神様が言ってるんじゃないのか」みたいなこともありました。野音て、当たらないじゃないですか。

●野音、「当たる」ものなんですね?

E:20年前のさんピンは、95年に「やりましょう」ってなって、誰かに譲ってもらったわけじゃなく、とれたんだよね。別に、最初から「7月にやろう」って話があったわけじゃないから。

R:ウチも今回は実行委員5人くらい、5社くらいで行ってます。そういうもんなんです。制作会社とかかき集めてみんなで、それで当たっちゃったんですよ。

E:だから今も謎なのは、1週間後にあったLB祭の方なんだよね。あれは発表とかを考えても、結構直前に決まってると思うんだ。あっちは、どっかから譲ってもらったんじゃないかと思ってるんだけど。

●とにかく、お二方とも、強運を引きつけられた。

R:それで、お話しに行って、「やらせていただけないでしょうか」と。

●RYUZOさんは、最初のさんピンの頃、どんな状況だったんですか?

R:オレは大阪に住んでて、MAGUMA(MC’S)でラップしてて、19とか18ですね。

●さんピんのことは、耳に入ってきていた?

R:言うたら、その頃金もないじゃないですか。だから、「誰か行かへんのか?」みたいになったら、ERONEが「オレ、行ってきます」みたいな。

E:東京まで?

R:はい。ラジカセ持って(笑)。それでその後ERONEに、どんなだったかを聞かされてましたね。

E:そうなんだ。大阪でもやったのにね。

R:それでその大阪の時、オレはRINO君と初めて会ったんですよ。大阪の帰りにRINO君が京都に来て、そこで。ただとにかく、さんピンのビデオは擦り切れるまで観ました。色んな人が出てて面白い。あの中では「パイセン」たちが、「ハイコー」という、、例えば、NITROの先輩たちが後輩じゃないですか(笑)。

●キャリアの中でも節目になっている?

R:オレらぐらいから、アナーキーくらいの世代の子たちまでは、やられてるんじゃないですかね。でも、これはやってみて思ったんですけど、そうじゃない人たちもいるんです。今回は、ECDさんやさんピンを元々やられてた方から、「昔出てたメンツは外して、今のメンツでさんピンを」ということで、前には出てなかったメンツで揃えたんです。それはオレとか、ダースにとっては、「ウォー」みたいな。オレら世代には、涙モンなんですよ。だから、企画について言いに行った人たちはすげえ喜んでくれたけど、「さんピンって何なんですか」みたいな、そうじゃない人もやっぱりいて。考えると、当時3歳とかですから、生まれたてみたいな話で(笑)。

E:そうだよね、20年前だからね。

R:それで断られたりとか、色々あって、心痛めて「ヒップホップも変わったな」とか思いながら、、

●可能な範囲で、断られたのは?

R:言うたら、怒られるっす(笑)。でも、Twitterとかでボロカス言ってくるやつとかいるんですけど、オレに言わせれば「お前の想像の範囲は全部呼んどるわ、ボケ!(笑)」と。「呼ばへんわけないやんけ」という話なんですよね。しかも、オレのコネクションがどうのこうの書いてるんですけど、実行委員10人もいて、偏らないようスペシャリスト集めて、その最も精通したやつらでやってて。もちろん全員呼んでるし、断られても出て欲しいから、何回もチャレンジしてるんです。それでも、断られたりとか。

E:その「呼ぶ」、「呼ばない」はね、、僕はそれ1人でやってたから。しかも、全部電話連絡で。

R:すごいですね。オレなんかだと漢とかB.Dくらいしか、自分で言ってないかもしれないです。

E:当時さすがにSNSとかはないから、それで決めて発表するじゃん。すると、誰とは言えないけど、前日に「出してくれ」って電話してきたやつとかもいるもんね。

●ECDさんが、「新しい世代にして欲しい」とRYUZOさんに伝えた、その背景はどんなものだったんでしょう?

E:この話がちゃんとあったのは今年に入ってからなんだけど、でももう1年以上前から、本根さん(もとavex)経由でチラチラ耳に入ってきていて。

●当時、ECDさんもavexです。

E:それで、コンちゃん(DEV LARGE)が死んだじゃん。「HUSTLERS CONVENTION」があって、VISIONにやたら人が来たでしょう?あのメンツって、基本的に元のさんピンのメンツなわけ。もちろんスチャとか、もうちょっと後のNITROとかも出てるけど、基本的にはあそこに集まってる連中が求めていたのは、「さんピン」だったと思うのね。だから、「あれはコンちゃんのプレゼントだな」と思って、「それはもうやんなくてもいいかな」って。

●初回のさんピンにおいては、やはりコンさん、ブッダの存在は大きかったんでしょうか?

E:それは、それ以上に「雷」の亜熱帯雨林とか、95年の盛り上がりがすべてのきっかけだから。

●そこにさらにブッダが加わった。

E:95年、東京のヒップホップシーンに、それまで経験したことがないような盛り上がりがあって。「これは絶対残さないといけない」と思って、最初は「映画にしよう」ということで、クライマックスシーンは野音で撮ろうというのは1年前から決まってて。

●「WILD STYLE」へのオマージュですね。

E:それで野音がとれて、でも「1年後までこの熱は保つのかな」と、その時からずっと思ってて。ただ「サントラは出そう」と思って、そこにブッダも帰ってきて、95年から96年にかけて「証言」、「人間発電所」が出たの。最初、95年に「やろう」って段階ではライブだけの盛り上がりしかなかったのが、ちゃんと音源で出せたから、続いたと思うんだよね。

●未だにクラシックとされている曲がそのタイミングで。

E:それは最近気がついたことなあんだけど。

R:あれは、「オトコパック」やったんすよ。「生で観れる」って無いんですよ。地方のガキからしたら、やられまくってリリック全部覚えてる人らが、全部映像で観れるって最高やったっすね。あれ、映像で観れたから、洋服とかも一気にあの時流行ったと思うんですよ。

E:まだ、みんながPVとかをつくれるような状況でもなかったしね。

R:それが、あのビデオの中では、みんな動いてたんですよね、、!日本語ラッパーの動き、なかなか、当時は東京行かな観れないんすよ。それがまとめて観れるという(笑)。だって実際、隠し撮りしにも行ってたすもんね。「雷のライブがある」って聞いたら、東京まで行って鞄に入れて隠し撮りするとか、そんな感じやったから。

E:僕らだって当時、DJ’s ChoiceとかでNYの映像とかを必死になって買って、研究したりしていたわけだから。

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