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Wackie’sのLloyd “Bullwackie” Barnes

● Wackie’sの名前の由来を教えて。

B:その頃のヨーロッパではグループが流行っていて、Teddy Boysとかイギリスのグループがあったんだ。街角で独自のスタイルの格好をしたりね。その影響がジャマイカにも来ていて、それで自分たちもグループ名を考えていたんだ。女がいなくて男だけのグループだ。牝牛はHeiferって呼ぶけど男しかいないグループだからそれで牡牛のBull、そしてWacky(変人)は冗談でね、ジャマイカでは男性器のことをCockyっていうんだ。それで造語してBullにくっつけたのさ。おかしな話だが、Bullwackieの響き、悪くないだろ。最初はジャマイカの自分たちのグループ名だった。Bullwackie Boysってね。
 その後アメリカに引っ越して来たときサウンドシステムを作って、色々なパーティーに出て行くようになった。そのサウンドシステムの名前がBullwackie’s Discoなんだ。地下でやるパーティーに呼ばれたりしていて、スピーカーやレコードを持ち込んで音楽をプレイしていた。そのサウンドシステムの名前からいつのまにかBullwackieと呼ばれるようになったんだ。元々はジャマイカの自分たち友達のグループ名のBullwackieが、サウンドシステムのBullwackie’s Discoになって、それで皆が自分のことをBullwackieって呼ぶようになり、いつのまにか個人の名前みたいになっていた。だからレーベルを作った時には、Wackie’sにしたんだ。自分が一緒に育って影響を受けた友達のことを想ってその方がグループの感じがするからね。

●90年代だったかな?俺がジャマイカにレコーディングしに3ヶ月に1度くらいのペースで行ってる頃だ。Lloydがキングストンにずっといるらしいと聞いて夜中にちょっと時間ができたからSugar MinottのYouth Promotionに行ったら、ほんとにいたよね。あの時って何をしてたんだっけ?

B:Sugarがアメリカに来た時にはWackie’sでよくレコーディングしていたのを覚えてるだろう。当時はNYに存在した唯一のジャマイカンのスタジオだったからいい関係を築いていたんだ。だからあの時はYouth Promotionをもっとステップアップさせるために手伝いに行ってたんだよ。スタジオで必要な機材を購入してはジャマイカに送ったり、中古の楽器だったり、自分が手に入れられる全てをね。彼のヴォイシングもしていたし、それは大変な作業だった。NYとジャマイカを行ったり来たりしてYouth Promotionのスタジオを作っていたんだ。

●実は今日(7月10日)がSugar Minottの命日でした。Youth Promotionからは、ほんとにTenor Saw、Yami Boloなどスゴいアーティストが沢山出現した。Lloydから親友だったSugarについて聞きたいね。

B:彼は音楽を愛していた同志だ。一緒だったが違う試みをしたんだ。彼は常にYouth Promotionのことを考えていた。ジャマイカの今、まさに成長させようとしている若いアーティストたちを何とかしようとしていた。Youth Promotionのアーティストたちをジャマイカでレコーディングしてアメリカで売り出そうとしたけど、人々はSugar Minottを聴きたがったんだ。だから結局は(そのトラックで)Sugar Minottとしてアメリカでレコーディングをし直したりしていた。それはYouth Promotionを継続するお金を稼ぐためにね。だけど若いアーティストたちには、なぜそのトラックにSugarがヴォイシングをするのかが理解できなかったんだ。あのころはYouth Promotionのためには仕方がなかった。だが次第にやっていることも認められていくようになった。これらは彼の人生の一部でしかない。
 よく一緒にいたし、旅をしたこともる。友人として一緒に住んでいたこともあるよ。今日までまだやり残してきたことがある。実はSugar Minottの未発表のレコーディングがアルバム2枚分ぐらいある。まだリリースされてない曲だ。いつも考えている。突然Sugarは逝ってしまったんだ。自分にとってはその彼の新しい音楽をプロモートすることがとても難しいんだ。何年も経っているがほとんどの曲は誰も聴いたことがない。そのレコーディングを気に入っているよ。彼は死んじまった。時が傷を癒してくれるとも思っている。彼は自分にとって特別な存在だった。私は彼から沢山学んだし、彼も自分から学んだこともあると思う。いいことを一緒に沢山成し遂げた。

●そのレコーディングは将来リリースされる?

B:いつかはリリースするかもしれない。とても特別なんだ。だからお金ではなく特別な機会でなければいけないと思っている。そのレコーディングはとても興味深くて好きだ。だからいつか皆に届けられればと思っている。誰もがどうなるかわからないけどね。

●1984年、Sugar Minottのバックバンドの一員として来日したGladdyを「この男はジャマイカ音楽の功労者で特別な人だ」と紹介してくれました。

B:そうか。自分は(ジャパン・スプラッシュを主催していた)タキオンとよく仕事をしたがOVERHEATも好きだよ。その頃のOVERHEATはファンデーション・タイプのレゲエをリリースしてた。Mute Beatのことを覚えてるよ。トランペット、あのホーンの感じが好きなんだ。タキオンも機会を与えてくれた。こうやって何年も経ってみるとよく分かるよ。この仕事が好きなんだってことがね。石井は心を込めて仕事をするからね。それが違いを生むんだ。

●そういえばMute BeatをWackie’sからアメリカ発売して、1989年だったかな?SF(サンフランシスコ)までLloydが来てくれて一緒にSF、LA、NYまでMute Beatツアーもした。逆にWackie’sがレコーディングしたLee PerryやSugarのアルバムをこっちが日本発売したりね。ではWackie’sを運営してきて何が一番大変だった?

B:スタジオを存続させるための経費の問題かな。でも常に音楽が先だった。自分がやっていたことを信じていたし経済的な理由があっても自分の考えは変えなかった。今の自分はとても幸せだ。我々は今もなお変わってない。色々な人に会って来た。多くの男や若者が私に「インスピレーションを与えてくれたことを感謝する」と伝えにきてくれるんだ。中にはミュージシャンじゃない者もいる。自分が信じていることを続けるインスピレーションを私から受けたとね。中にはアーティストや絵を描いている人もいたよ。インディペンデントで活動して何かを成し遂げようとしている人たちだ。彼らはWackie’sにインスピレーションを感じ、信じて戦い成し遂げるシンボルだとね。Wackie’sが彼らの人生に影響を与えたと聴いて、私はとても幸せだ。私がやったことはただ自分の感じた何かをそこに込めただけだ。好きなことには犠牲が伴うのさ。Wackie’sを45~50年間続けているけど、その間私は戦って来たんだ。

●今や沢山のレゲエ・レーベルが存在するけど、他のレーベルとWackie’sはどこが違うと思う?

B:音楽を単にビジネスと考える人たちが多くいる。でもWackie’sは音楽を愛だと思っている。タダでも百万ドルでやる仕事と同じことができる(笑)。それはとても大きな違いだろ。お金だけで考える人たちがいる反面、自分達は音楽だけを考える。そうすれば正直になれるし自分の気分をクリエイトすることができる。余計なことを考えなくて済むからね。クリエイティビティを愛している人たちを一番に俺は考える。我々は皆違う。誰一人として同様ではない。指紋も違えば考え方も違う。自分は変わったグループの方でいたい。すべてが同様でなければいけないわけじゃないからね。自分の”違う”ところが好きだ。だから自分が頭の中で考えたことを今でもプロデュースするんだ。頭の中でやりたいことが常にあるんだ。それが私の人生においての仕事だから、これをやり続けるのさ。

●ドイツのBasic ChannelがWackie’sのヴァイナルをリイシューしていますが、どのような経緯でそうなったの?

B:それ以前にもアシスタントからリイシューしたらと言われていたが、でも彼が私のやりたいことを理解しているとは思えなくてやっていなかったんだ。
だが、ある時ロンドンの友人が、Basic Channelのマーク(Mark Ernestus)を紹介してくれた。それで何かをしようということで最初は12インチ一枚の話だった。片面がWackie’sで片面がBasic Channel だ。それから5年ぐらい経ってまた彼と話をすることがあって、Wackie’sのカタログをBasic Channelからリイシューすることを決めたんだ。マークをリスペクトしているよ。彼はアメリカの私の家に来てくれて一緒に時を過ごした。仲もいいよ。理解して支えてくれる。私が大丈夫かどうかいつも心配してくれるんだ。愛を持ってリスペクトしてる。石井みたいにさ。

●何かレゲエに求めているものは?

B:音楽が変化しているのは理解している。でもあの時代は私たちと共にあった。オリジナルのダンスホールだ。Sugar Minott、Little John、Johnny Osbourne、ダンスホールといえばこういうアーティストを思い浮かべる。今はもっとポップなレゲエだからね。リリックが大分違う。コンシャスさが少なくてもっと性的だったりする。もちろん音楽は音楽だから聴く人の自由だ。でも若い奴らも成長していくし、いつか家族を持ったり子供ができたりして、リスペクトすることを覚えるようになっていく。そうやって変わっていくんだと思う。オリジナルのルーツ・ロック・レゲエ、ラヴァーズ・ロック、ダブ・ミュージック、ダンスホール、ステッパーズ・スタイル。そして今の音楽をダンスホールと呼んでいるけど違う名前が必要だ。ちょっと紛らわしい。他ははっきりしているからね。レゲエはいつもラヴァーズ・ロックでルーツ&カルチャーで、政治的な視点だったりね。レゲエはセックスのような性的な面だけじゃない。でも音楽が問題なんじゃなく、ただ名前が紛らわしいだけだ。ダンスホール・ミュージックっていうとどっちのことを指してるのかわからないからね。ニュー・ダンスホールなのかSugar Minottのようなタイプのダンスホールなのかね。世界をツアーしてSugar Minottのダンスホールを広めて来たけど、それはルーツ&カルチャーでラヴァーズ・ロックでもあったんだ。

●今取りかかっているのは何?

B:今でもルーツ・ミュージック、ラヴァーズ・ロック、ワンドロップを作ってるよ。80、90年代のアグレッシブなステッパーズ・ダンスホールだ。オリジナルスタイルさ。ヨーロッパにファンが沢山いてくれるからね。彼らは私の80s、90sスタイルが好きなんだ。それを求めてるのさ。今はJah Loveと一緒にやっているよ。U-ROYのような感じだ。若くてもっとライブな感じだ。もっと高低があってね。90sスタイルのステッパーズ、アグレッシブなスタイルのレゲエだ。あとはラヴァーズ・ロックもだね。二人の娘と作っているよ。才能がある奴らがいて音楽ができるいい場所もあるし、若い奴らが育って来ているんだよ。腕が立つミュージシャンのクルーがいて、良いシンガーもいる。私がやることを人々が注目してるのを感じてるよ。私はいつも音楽を愛している。

●今日はインタヴューありがとう、Lloydの回復記念にWackie’sとRiddim Onlineの限定コラボTを作ろうぜ。こんなことは初めてだな!

B:今でも色々な人たちがアプローチしてきて、何か一緒にしようと持ちかけてくるけど自分は基本的にやらないんだ。何か特別なことなら別だけどね。友人とオリジナルのシャンパンを作ったり、壁に飾る特別にデザインしたスケートボードも作っているよ。石井なら1枚でも100万枚のTシャツでもOKだよ。私の意見だけどいい奴は数少ないんだ。でも石井はその中でも一番上の奴らだよ。石井が何かをしたいと言ったら決して俺はNOとは言わない。

・・・・たぶんLloyd Barnesと知り合ってから35年くらいは経っている。いや、それ以上か? まだリキッドルームが新宿にあったころ、Riddim誌20周年で来日させシブい1曲「Dancing In The Rain」を歌ってもらった。想いでは尽きないが、とにかくLloydの心臓バイパス手術の結果は良好のようだ。
73歳、おめでとう! クールなNY DUBを作り続ける彼にさらなる期待をする。

Wackie’s Tシャツは→ http://overheat.shop-pro.jp/?pid=120726704


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