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石田昌隆「JAMAICA 1982」

●それで、このジャマイカ行きが、プロ・カメラマンとしての始まりなんですよね。

I:それは完全にそう。さっき(僕の)写真を撮ってもらった格好で撮影してた。実績的には素人だけど、その前に鉄道写真を散々やっていたし、ステージ写真も中学生の時、ドリフの「8時だョ!全員集合」の公開収録に行って客席から、志村けんが入る前、荒井注がいた頃のドリフの写真を撮っていて、写真を撮る機材とスキルは一通り備わっていた。ただ撮った写真をどうやったら皆に見てもらえるかは、全然分からないじゃないですか。当時はレゲエ・クラブの時代でも無いし、(渋谷百軒店にあった店)ブラック・ホークの人に見せに行くみたいなことしか思いつかない。で、加藤(学)さんとか山名(昇)さんに見せに行ったんですね。そうだ、ジャマイカに行く前に工藤晴康さんに相談に行ったら、日本で多分唯一レゲエのサウンド・システムが、こういう物だって想像出来ていた人で、「ジャマイカに行ったら、サウンド・システムは絶対面白いはずだ」って工藤さんがアドバイスしてくれたんですね。それまでは、レゲエ・ブラッドラインにもサウンド・システムの話しは、全然出ていなくて。この写真集にも載っけてるダウンタウンのモーリスの車のトラックを改造したレコード屋みたいのがサウンド・システムだと思っていたんですよ。レゲエ・ブラッドラインにも、あの写真が出ていたし。工藤さんが言ってたことは、実際その通りだった。当時は工藤さんと山名さんが凄く鋭かった。加藤さん達が「サウンド・システム」という雑誌をやっていて、82年のサンスプラッシュに関して、菊地さんと健太郎さんが、出演したオーガスタス・パブロのこととか、メインな感じのページを作る事になっていたので、メインじゃ無いような、チャンセリー・レーンで自分のレコードを手売りしている様なミュージシャンだとか、その周辺のミュージシャンの話しを書かないかって言ってくれて、僕も「サウンド・システム」の2号に8ページくらい記事を書かせてもらった。それが、音楽媒体と関わる最初ですね。で、これにも出ている子供が4人逆立ちしている写真を山名さんが「これは、良い写真だね」と言ってくれて、見開きで使ってくれて嬉しかった。それとブラック・ホークに見せに行った時に、「ラティーナ」の編集の高橋敏さんという人がたまたまいて「これ面白いね、ウチでもやらない?」と言ってくれて、それでいきなり4ページの5回連載をやらせてもらえる事になった。それが事実上のこの業界の入り口になった感じです。
 その頃は、レゲエと言えばボブ・マーリー、レゲエと言えばジャマイカっていう感じがちょうど広まった頃で、雑誌の人がレゲエ関係のページを作ろうとブラック・ホークに「何か、ネタ無いですか?」って聞きに行くと、加藤さんが、僕の写真を「ジャマイカ行って撮った写真があるよ」って紹介してくれて、それで、ブルータスとか学研の高1コースとか、そういう雑誌に幾つか出たんですよ。その中で編集プロダクションみたいな人が「お店取材とか、芸能人取材みたいな写真も頼んで良いですか?」ってなって、1度も就職せずに普通の雑誌の取材とか沢山出来るようになっちゃったんです。そもそもジャマイカ行った時が、大学に入学して6年目の3年生だったんですけど(笑)。

●あっはっは(笑)。

I:翌年一応卒業出来て、卒業する頃にはもう撮影の仕事をガンガンやっていたので、もうどこの就職試験も受ける事なく、フリーランスのカメラマン。それで80年代後半になると、丁度バブルの勢いもあって、簡単にフリーランスで飯食える時代になって、その辺はラッキーだったけど。でもこの“82年のジャマイカ”と、去年Riddimで掲載した“84年のイギリス(「UK 1984」)”は、やっぱり僕にとって決定的なモノをもたらしたんです。

●写真集を作るにあたってじっくりと選んだり色調整をしたりして、今こうして82年の写真を見て、どうですか?

I:当時は「良いな」と思っていた写真でも今回は落としているのとか、当時は気づかなかったけど、「これは重要な写真だな」とか、そういうのが色々ある。ヴィンセント“ターター”フォードっていうボブ・マーリーの「No Woman, No Cry」の作者としてクレジットされている人との出会いとかは、その後の展開で色々明らかになったことです。
 『黒いグルーヴ』(青弓社刊)が出たのが1999年。その前に82年と84年の写真と話をまとめて、85年に月刊プレイボーイのドキュメントファイル大賞に応募したことがあって、最終選考まで残って、開高健、立花隆、筑紫哲也とかが論評してくれたけど賞は取れなかった。それは「ラティーナ」の連載とかを加筆したもので、それをさらにもう1度推敲したのが『黒いグルーヴ』の文章になってるんだけど、それでも今見ると直したい所が凄く沢山ある。だから今頃になってこの「JAMAICA 1982」が形になる機会を得て、結果的にずっと良い内容にブラッシュアップ出来た事が凄く嬉しい。

●石田さんって文章と写真と両方をやっているじゃないですか。その違いは?

I:鉄道雑誌は写真を撮って文章を書くっていうのを1人でやるのが常識だったから、逆に普通の雑誌がカメラマンとライターが分業だっていうのを知った時の方がむしろ驚いた。

●ああ、そうなんだ。あと今迄に世界中色々行っているじゃないですか、アフリカとか南米とか中近東とか台湾とか、そういう中で最も印象的な人とかっていうのは、ありますか。事でも物でも何でも良いですけど。

I:やっぱり、82年のジャマイカと、84年のイギリスと、89年のベルリンの壁崩壊前後の東欧と、94年から95年にかけて行ったナイジェリアのフェラ・クティとか、2002年にレバノンで見たフェイルーズとか、それと2002年の年末にジンバブエで見たトーマス・マプフーモとか、いろいろありますね。

●それと、写真集っていうのを出してなかったじゃないですか。それは、何か理由がありますか。

I:いやいや、本当は『オルタナティヴ・ミュージック』(ミュージック・マガジン刊)は、写真集のつもりなんです。異様にキャプションが長い写真集(笑)。

●はっはっは。写真集とは、思わなかったですね、やっぱり。写真が前半ダーッとたくさん載っているけど分量からすると何倍も文章のページ数は多いな。
 あと、最後にもうひとつ。去年石田さん、心臓の手術をやったじゃないですか。僕なんかの歳になると周りもバタバタ逝ったり色々あるんですが、あの時たまたま知り合いで心臓バイパスってのが3人いたんですよ。

I:僕はバイパスじゃないんですよ。大動脈を人口血管に置き換えるっていう手術なんだけど。

●それは失礼、大雑把で申し訳ない。心臓手術が3人いたんですよ。1人はWACKIE’Sのボスのロイド・バーンズで、もう1人がMOOMIN。もう1人が石田さんで、皆同じ時期だったから、「流行ってんのか?」って冗談言ってたんだけど。ちょっと昔だったら、言い方は悪いですがお陀仏になりかねない。何か人生観が変わったりとか、あったりするんですかね?

I:人生観は変わらないけど、この写真を撮った時は24歳だったのに今は60歳。やっと1982年の物を形に出来たわけだけど、まだ他にも形に出来るまでは死ねないみたいなやつが幾つかあるので、それをやりきるまでは、なんとか健康にと思っているくらいですよね。
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「JAMAICA 1982」
■著者:石田 昌隆
■ページ:64ページ ■サイズ:A4横開き(210mm×297mm)
■発売日:2018年7月6日
■定価:3,800円(税別)
■品番:OVEB-0004
■発行:OVERHEAT MUSIC / Riddim Books ■発売:ボイジャー

【写真展】
■会場:BOOKMARC(ブックマーク)
東京都渋谷区神宮前4-26-14 TEL:03-5412-0351
■会期:2018年7月7日(土)〜16日(月・祝)(12:00〜19:00)
・7月6日(金) オープニング・レセプション(19:00〜20:30)
・7月15日(日) トークショー2回あります。(◉14:00〜、◉16:00〜)


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