• OVERHEAT MUSIC

屋敷豪太(GOTA YASHIKI)

●凄い経験だったんだね。ちょっと話しが逸れるけど、97年くらいかな、俺はジャマイカでスリラーUをマネジメントしていて、一番でかいアンカー・スタジオをブッキングしてたら、スライが「お前が押さえてるスタジオ時間を俺にちょうだいよ、ミックが来てるんだ」って言ってきて、俺はレゲエ好きのミックならミック・ジャガーだと思ったんだ。実は80年代に自分のOVERHEATレーベルでバニー・ウェイラーのアルバムをライセンスして出してたんだけど、その中の曲をSimply Redが1曲カバーしていて、グラミーにノミネートか何かになったことがあったからミック・ハックネルがレゲエ好きだってことは知ってたんだけど、ミック違いだった。

G:それは、ジャマイカで?「Night Nurse」のレコーディングかな?

●そうそう、グレゴリー・アイザックスの曲のカバー。後で分かったんだけど。

G:だから僕もね、Simply Redって曲は知っていたけどバンドを殆ど知らなかった。それこそタワーレコードでリー・ペリーの名前で「Massive Red Mix」を買って「へえ、Simply Redか、ミックス良いな」って。その後の「Holding Back The Years」とか「If You Don’t Know Me By Now」とかも聴いて「これもSimply Redなのか、レゲエのバンドじゃないんだ」と思いながらレコーディングに行った覚えがある。彼らはそれまでにもうアルバムを3枚出していたから、たくさん資料を貰って聴いて「この曲知ってる」とか。この間も宮崎(DMX)と話していたら、そのMelonでレコーディングか何かをやった時に、宮崎もロンドンでK.U.D.Oちゃんとハマースミス・オデオンでJBの前座でSimply Redを観たって言ってた。「まさかそれをGOTAがやるようになるとは」とか言って、僕はそのライヴの時はニューヨークに行っちゃってた。

●それでさ、日本にまた軸足を移したのは?どういう心境の変化?

G:それは2000年前後からまたSimply Redのレコーディングをやるようになって、「ちょっとだけツアーやろうよ」って、またワールド・ツアーとかをやったりしていても日本の仕事はずっとしていて、うちの母ちゃんも歳をとってきたりして、帰って来る回数も増えてきて、自分自身も食べ物が最終的には辛くなったっていうのが一番ネックだったのかなって思う。若い時はパンとコーヒーがあれば良かったけど、京都の山奥の野菜を食べてた人間が、東京に出て来て「野菜ってこんな感じ?」って思って、それが今度はロンドンに行って、野菜なんてほぼスペインからの輸入だったから、食べ物に関しては本当に大変で。 40歳を超えたあたりから日本に来ると食べ物だけじゃなくて日本語の歌詞も刺さるようになって、その歌詞が刺さるスガ(シカオ)君だったり、槇原(敬之)君だったり、それまでは只の遊び仲間だった(藤井)フミヤの事務所に所属してフミヤの仕事もやる様になったりしてる。音楽の情報も2000年辺りからどこにいてもインターネットで入ってくる様になったでしょう? もう当たり前の様に東京にいても京都にいても極端に言えば情報的には困らない。
 ソロアルバムを作っていても、Simply Redのサックスのイアン・カーカムっていうのに、「この部分にサックスが欲しいよ」って言ってデータを送ったら、ビューって吹いてそれもすぐ来るしね。

●そうだね、この15年くらいで一気にそうなってしまったよね。俺もジャマイカに行かなくてもトラックもミックスも頼めるし、相手の顔を見てコーラスの指示だってある程度はできる。

G:向こうに住んでいる時に日本の歴史のことを聞かれても全く分からず恥ずかしくて。「天照大御神って何?神社や寺ってなんであるの」とか、今は凄く日本の文化を知りたくなって、そういう年齢になってきたのかなとも思う。でも音楽を長くやり続けていれば「人間にとって音楽って何」って思うし、元々僕も祭り太鼓からドラムに入っているから祭りの音楽とかも凄く興味が出て来て、京都に住み始めたら踊りとか陶芸、絵も版画も日本の文化は凄いなと思っている。80年代後半から2000年位迄は、凄く洋楽かぶれ、洋バカだったのが今は邦バカみたいな感じで、今はそれが楽しくてしょうがない状態。

●なるほど、今やっているソロと、DUBFORCEと、小原礼さんとやってるRenaissanceと、あと他には何が?

G:スガ君とやっているNHKの「プロフェッショナル」の音楽を作ったkokuaってバンドと、DUBFORCEでしょ、Major Forceもちょっとずつやったりね。
 礼さんとのRenaissanceは2枚目のアルバムがもう出来る。あと自分のソロのコンセプト・アルバムを今年中に発売出来たら良いなと。これはA面B面があるアナログ盤でジャケ買いするくらいの大きさが良いよね。海外でも出したいから、英語でやりたいと思っていたら、僕が住んでいる近所にクリス・モズデルが家を買って引っ越したんだって。僕は加藤和彦さんが亡くなる前に一緒にVITAMIN-Qっていうバンドをやってたんですよ。その時に加藤さんが歌詞を頼んでいたのが、クリスで。

●YMOとかもやっていたよね。

G:YMOの「Behind the Mask」なんて、マイケル・ジャクソンが歌って、エリック・クラプトンで大ヒット。そのクリスに、「京都にいるってことは日本の文化や歴史に興味があるんでしょう?」って話したら「あるある」って。それこそ歴史の話しじゃなくて日本人の精神的な話しとか色んな事をクリスとお茶を飲みながら話して、それでクリスが詞を書いてくれてる。曲が先のもあるけど、詞を見ながら歌を作った事が今まで無かったから凄く新鮮で、面白くて。
 さらに京都でファーストコールってスタジオを持ってる谷川さんという人と3年くらい前に知り合って、それこそ石井さんも来たロンドンにあった僕のスタジオの機材と同じようなスペックが、まさかの京都にあった。マイクから、ヴィンテージ機材から、僕が持っていたのと同じ卓まであって、谷川さんも僕の事を凄く知ってくれていて、「アルバムを全部持ってますよ」みたいな話しで、そこでソロアルバムを作ったり、大沢君(モンドグロッソ)の「ラビリンス」のDUBFORCEリミックスとか、今回の7インチ・シングルの「LIAR DUB/光り出しそうだ」もそこ。徐々に僕の音楽制作環境が、京都の中でまさかの凄い展開になってきています。

 あとは、自分の妻がちどりやっていうオーガニック化粧品をやっていて、彼女の影響が凄く大きい。「You are what you eat」ってことわざで、あなたの食べたもので体の全てが構成されているみたいな意味。僕の田舎の綾部は、京野菜のメッカみたいな所で、そこの野菜を食べると「子供の頃はこんな味だったな」と思い出すし、水道水にしても塩素を使ってない井戸水で全部やるようにしている。
 ちどりやの工房として、色んな野草の力強さのエネルギー源とかビタミンとかを調べたり製品も作れる家があれば良いと思って探したら、畑も田んぼも山もついてめちゃくちゃ安いんですよ。そこを改装して稼働しはじめて、近所の人とも仲良くなって野菜のことを教えてもらったり。その野菜は本当に美味しいし柔らかくてドレッシングも必要無いんだよね。無農薬の野菜は置いておいても腐らなくて只枯れて皺になっていくだけ。農薬を使ってる野菜は腐るし皮は厚いし堅い。買った野菜に農薬がかかってると嫌だから湯沸かし器を50度にしてガーッて洗うと溶けて流れるし手が荒れてカサカサになる。でも地下水で50度洗いを始めたらカサカサしなくなった。毎日塩素を飲んでいるんだなとか、頭洗うのにいつも塩素を浴びているんだなと段々思ってきて(笑)。そっちの方向にけっこう入っている今日この頃の僕ですみたいな感じ・・(笑)。

DUBFORCE HP:  dubforce.tokyo


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