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映画『盆唄』が繋ぐ過去と未来

Text by BIOCRACY

 2月15日(金)封切りの映画『盆唄』(監督:中江裕司)。それがどうジャマイカやレゲエに繋がるかは本文で確認いただくとして、映画に詰まった地域、リズム、福島、盆踊り、まつりといったファクターはまとめて、私たちがつくりたい未来への鍵だった。
 『盆唄』の完成には、そもそもハワイで日系移民をライフワークとして追い続け、311以降は福島をフィルムに残し続けているカメラマン岩根愛の尽力がある。劇中、ハワイで出会ったとっくに生産中止のパノラマカメラで、福島の帰還困難区域に家を持つ方々を撮る岩根の姿も確認できる。
 『盆唄』から受け取れるものが何か、写真集『JAMAICA1982』(OVERHEAT、2018)の石田昌隆氏を招き、キャリアを通じて音楽を追いかけてきたカメラマン同士の対談が実現。最初の邂逅は90年代後半、代々木公園でのDRY&HEAVYのライブという2人の対話をお届けする。

石田(以下、IS): 『盆唄』の試写会ではリクル・マイさんに会ったりして、レゲエの繋がりは普通に感じていました(笑)。

●そもそもなぜ、試写会に石田さんを招待したのでしょう?

岩根(以下、IW):石田さんは絶対この映画を気に入っていただけるんじゃないかと、勝手に思ったんです。私はこれを「音楽映画だ」と思っていて、だからこそ音楽に理解がある人に観てもらいたかった。それは私自身も長く、音楽の撮影の仕事もしてきたので。

IS:作品は観る前から「面白いに決まってる」と思っていました。ただ、映画の前に岩根さんのニコンサロンの写真展にも行っています。そしてそこで見た写真には内容があったんです。
 何十年もいろいろな人の写真を見てきましたが、結構巨匠と言われる人の古典でも、年月を経る中で自分の中の評価が落ちていくことがある。それは「『写真はいいんだけど、意味がダメ』ということがわかってきた」のだと思っています。
 どういうことかと言うと、例えば「写真家の撮る花はつまらない」という言葉があります。それはきっと「花のことをわかってない」感が、心から花を好きな人にはわかってしまうんだろうなと。
 70年代から90年代が写真が特に力を持っていた時代で、リアルタイムで「素晴らしいな」と思っていた写真家の作品はたくさんありました。でもその中で自分の中に残るものと、つまらなくなってしまったものとが明確に分かれてきました。
 写真がうまかったりきれいだったりは大前提であって、加えてすごく「内容がないとダメだな」と思うようになりました。その時に、岩根さんの写真には「すごく内容のある感じ」が素晴らしいと思ったんです。
 岩根さんは、写真を撮る過程で予期せぬ事象と出会っていく。06年からハワイに通うようになって、現地で盆踊りの存在を知り、それが福島と繋がっていることに気づく。「撮る」ことと「何かに気づく」ことが同時進行する。さらに福島では11年に東日本大震災が起こり、映画では触れられなかったけどハワイ島では18年にキラウエア火山の溶岩流が民家にも達した。盆踊り、移民、自然災害、それらが織りなす物語をリアルタイムで発見していく。素晴らしい内容だと思いました。

●映画は、木村伊兵衛賞にノミネートもされた写真集『KIPUKA』(青幻舎)や展示に収まりきらなかった部分がまとめられた、という理解で間違いないでしょうか。

IW:写真では唄そのものは伝えられないので、「そこを何とかしたい」という想いがずっとありました。だから映画のきっかけは、「唄のことを映像にすれば一つの作品ができるはず」という、それをハワイと福島の関係を知るほど確信していきました。そしてそれをお願いできるのは中江監督しかいないと思っていたんです。
 中江監督とは2003年の『白百合クラブ東京へ行く』で、その時写真を担当して以来になります。それからも『ナビィの恋』や『ホテル・ハイビスカス』など、とにかく監督の音楽への愛を知っていたので、ハワイと福島の盆唄の関係を知るうちに「いつか何か撮って欲しい」と思ってきたことが、今回ようやく実現したという経緯でした。

IS:まず、そもそも「盆踊りが音楽的にも面白い」というのは、80年代に河内音頭を錦糸町でやるようになった頃から少しずつ知られるようになった事実です。だから最近で言えば、Soi48とか俚謡山脈のかける音楽も素晴らしいわけです。
 さっき映画が「いいに決まってる」と言いました。でも、「物語としてハワイと福島と311が絡んで素晴らしいものができる」ということは確信していた反面、盆踊りそのもののクオリティは、いくつかよく知られている素晴らしいものがすでにあるので、正直「そこまではいってないだろうな」と思っていたんです。でも、それも思った以上に音が良くて。
 それから、監督が主役の横山(久勝)さんと出会って「これは映画になる」と思ったという話がありました。そして横山さんの太鼓について、友人の方が「微妙にズレるところが格好いい」みたいなことを指摘しているシーンがあって。そこは、音楽評論家的には「すごいポイントをしっかり突いてる」と思ったというか、現場で盆踊りに参加している普通の方がそこを見抜いてることに感心しました。
 とにかくすごく意外だったのは、フクシマオンドがそもそも音楽的に、すでに知られているいくつかの素晴らしい盆踊りに引けを取らないレベルにあったということでした。

IW:ハワイには全国からの移民がいて、最初は生演奏の曲がたくさんあったらしいです。それがどんどん淘汰されていって、今やフクシマオンドだけが残っている状況です。
 オアフ島では山口県の岩国音頭と沖縄の人たちがやっている盆唄があるんですが、山口県は純粋に人口が多いのでわかるんです。かたや福島からの移民は東日本では一番多いものの、特に他と比べてすごく多いわけでもない。でも、あのビートや踊りが愛されてここまで残ってきた感じがするんです。
 今やってる人たちは必ずしも福島を先祖に持つ人たちではなくて、ハワイの盆ダンス=フクシマオンドということになっていて、盆ダンスを演奏したい人は自動的にフクシマオンドを習うとことになっています。

●岩根さんは元々ハワイに通われていました。そして311後通い始めた福島との共通項や、特別なパノラマカメラを見つけたり、どのポイントが最も予想外で、さらに追いかけるテーマとして、一番「これはすごいことだ」と思ったんでしょう?

IW:ハワイの盆ダンスは、踊って写真を撮るのが好きでずっと通ってきました。
 決定的だったのは2011年の夏、ちょうどマウイ島で、地震と津波の被災者約100人が招待されて長期滞在していたんです。双葉郡からも中高生が30人くらい来ていて、彼らが盆ダンスにも来たけれど最初は恥ずかしがっていたのが、マウイ太鼓が生演奏のフクシマオンドを始め途端、急に「あ、これ知ってる!」と言って踊り出したんですね。本当にビックリして、その光景がもう忘れられなくて。
 まず、そういう唄が自分にはありません。そんな若い子たちも聴けば踊り出してしまう、「共に生きてきた唄がある」ということと、それよりも、それは「これは本当に海を渡ってきたんだな」という証明を自分の目で見た瞬間だったので、それが大きなきっかけでした。それで、「フクシマオンドって今も、ハワイでこんなに盛り上がってるんですよ」ということを伝えたいと思ったんです。
 その後マウイ太鼓を福島に呼ぶんですが、自費で12人のメンバーが日本まで来てくれました。その時に横山さんをはじめ、いろいろな福島の太鼓奏者の人たちとの交流が始まったんです。

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