• OVERHEAT MUSIC

DAVID RODIGAN
「大英帝国が世界に誇るレゲエ伝道師」

Text by: KOJI YAWATA Photo by: SHIZUO “EC” ISHII
Special Thanks to MIGHTY CROWN ENTERTAINMENT

70年代から40年以上にわたってラジオDJ、セレクターとしてジャマイカの音楽の魅力をロンドンから世界に発信し続けてきたDAVID RODIGANが10年振りに来日した。限られた時間の中で貴重な話を聞くことができた。

●昨日は「DAVID RODIGAN AND THE OUTLOOK ORCHESTRA」の動画を見ていました。今回の来日の直前の3月12日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホール(150年の歴史を持つイギリスを代表する劇場)で開催された特別な公演だったと思います。ご自身がホストとなって、数多くのアーティストと共にSKA~ROCKSTEADY~REGGAEの歴史と変遷を紹介する内容となっているように思いました。

DAVID RODIGAN(以下、DR): FREDDIE McGREGOR、MAXI PRIEST、BITTY McLEAN・・、当日は大勢のアーティスト達が出演してオーケストラをバックにそれぞれの時代の楽曲を披露してもらったんだ。素晴らしいショーとなったよ。あと、驚いたのは、出演者を発表する前に何千というチケットが完売してしまったことなんだよ。わずか3時間でだ、信じられるかい? でも、それはいかに多くの人達がジャマイカの音楽を愛しているかを表してもいるよね。若い観客が来てくれていたことも過去のジャマイカの音楽が現在でも魅力的で、新鮮であり続けていて、どの時代にそれと出会っても現在聴く音楽として楽しめることを表していると思うんだ。

●改めてご自身のジャマイカの音楽との出会いを教えてくれますか?

DR:1967年の夏、16歳の時。当時の他の多くの人達と同じ様に自分もジャマイカの音楽、オリジナルのSKA、そいつにノック・アウトされてしまったんだ。THE SKATALITESの「Phoenix City」「Guns Of Navarone」・・、SKAの持つとてつもないエナジー、信じがたいほど素晴らしい音楽に自分は完全に打ちのめされてしまったんだ。

勿論、それ以前に「My Boy Lollipop」(MILLIE SMALL / 65年発表曲)とか、〈BLUE BEAT〉(ジャマイカの音楽をUKでリリースしていたレーベル)を通じて、ジャマイカの音楽は聴いていた。それらを他の〈ATLANTIC〉(USのソウル / R&Bレーベル)とかの音楽と同じような感覚として聴いていた。自分はそれ以前から音楽好きだったから色々な音楽を聴いていた。特にSAM & DAVE、 WILSON PICKETT、ARETHA FRANKLINとかのSOULを好んで聴いていた。ただ、その67年の夏に、ジャマイカのオリジナルのSKAと出会った時に自分は完全にその虜になってしまったんだ。完全にそれまで聴いてきた他の音楽とは違うと感じた。疑うことなくそう感じた。

自分の周りにもSKAにノック・アウトされた友達とかは多かった。でも、その翌年の68年に、SKAからROCKSTEADYへと変わると興味を失っていった。「ビートが足らない」「もっと速いテンポがいい」とか言って周りはROCKを聴くようになっていった。刺激を求めていた若者だったからだとも思う。でも、自分は変わることはなかった。ROCKSTEADYの時代になっても、REGGAEの時代になっても、変わることなくジャマイカの音楽の虜のままだった。周りからはよく「まだジャマイカの音楽を聴いてるのか?」って言われたりもした。そうだね、かなり変わった奴だと思われていたよ。

自分のジャマイカの音楽への欲求は普通ではなかった。とにかくジャマイカの音楽が聴きたくて、そのレコードが欲しくてたまらなかった。DUKE REIDの〈TREASURE ISLE〉とかは最高だったし、COXSONE DODDの〈STUDIO ONE〉もヒット曲ばかりだったしね。〈STUDIO ONE〉は〈MOTOWN〉(USのソウル / R&Bレーベル)のような感覚で最初は聴いていたね。でも、当時は自分の街にはレゲエ専門のレコード店とかはなくてね、それこそブリクストン(ロンドン南部のジャマイカン&カリビアン・コミニュティのある地域)みたいなところではなく、本当に田舎、「村」と言った方が正しいようなところだったからね。毎日寝室で一人きりでUPSETTERSとか、その時に持っていた限られたレコードを繰り返し聴いていた。まるで宇宙人のような気分にさせられていたよ。本当に村の中で、たった一人で聴いていたからね。

ロンドンには大学進学で移ったんだ。最初は経済を学んでいたけど、すぐに役者を目指すことになった。ロンドンに来た時に自分が宇宙人ではないことを知ったよ。首都だからジャマイカン&カリビアンのコミュニティもあるし、当然そこではレゲエが聴かれていたし、そこ以外でも自分のようにレゲエを聴いている人達はたくさんいたからね。あと、ロンドンに移って、LEE’S SOUND CITY、MUSIC CITY、TROJAN RECORDS・・、それらのレコード店とかのレゲエのレコードの在庫量に驚いて、そのレコード棚の前で立ちすくんだよ。「なんてこった・・、こんなに聴かなきゃいけないレコードがあるなんて・・」ってね。

でも、それを買うお金がなかったんだ。それでレコードを自分で卸す仕事を考えついたんだ。ディストリビューターやレコード店からストックを譲ってもらって、それを他の地域のレコード屋に卸すことにしたんだ。それこそオックスフォードとか田舎の店にね。そうすることで自分の欲しいレコードは卸価格で安く買えるし、レコードを売って利益が出たらそれでまたレコードも買えるから自分にとっては最適の仕事だったんだ。うん、結構良いセールス・マンだったよ。いや、まだラジオとか始める前で俳優を目指していた頃だった。舞台の後にそのままの格好でダンスに行ったりもしていた。そこでプレーされる曲を聴きたかったし、知りたかったし、そこでサウンド・システムやサウンドの魅力にも魅了されるようになったんだ。

DJは15歳の時から始めていた。DJも俳優もラジオも、自分で何かを表現することが好きだったんだ。最初のラジオ番組は1978年、BBC RADIO LONDON。その翌年には、CAPITAL RADIOで番組「ROOTS ROCKERS」を開始した。その番組で現在のキャリアの基礎が出来たと思っている。そう、最初から自分が選曲していた。レコードは持っていたし、流したい曲も山ほどあったからね。そこからKISS FM、あと現在はBBC Radio 1Xtraと色々と変わってはいるけど、ずっとラジオは続けている。そうだね、現在は日本からも聴けるのはいい時代だね。

初めてジャマイカに行ったのは1981年。キングストン、マックスフィールド(アヴェニュー)、CHANNEL ONEスタジオ・・、最高の経験だったね・・。ずっと、レコードや本、写真や映像で見ていたり、聞いていた世界が全てそこには存在していたからね。自分が求めていたものが全てそこにはあった。

初めてジャマイカに行った時にはBUNNY WAILERにも会えたんだ。でも、自分から「初めまして、自分はDAVID RODIGANと言います、ロンドンでレゲエのラジオ番組をやってます」と挨拶しても全く相手にされなくてね。結局、その翌日に改めて知り合いを通じて紹介してもらってBUNNY WAILERの取材はできたんだけど、最初はそんな感じだった。

BUNNY WAILERの話もしたから、BOB MARLEYの話もしよう。さっき話した最初のラジオ番組、1978年のBBC RADIO LONDONの話だけど、ロンドンでBOB MARLEYに会ったんだ。BOB MARLEYだぜ・・、78年のBOB MARLEYだぜ・・、そりゃ会った時に「BOB MARLEYだ!!」ってなるのはわかるよね?! それも全くの偶然で会えたんだ。

たまたまロンドンのISLAND RECORDSのオフィスを訪ねた時だったんだ。BOB MARLEYはちょうどアフリカのジンバブエで開催された独立記念公演の帰りにロンドンに立ち寄っていたんだ。そのことは誰にも知らされてないから、階段の上からBOB MARLEYが下りて来た時にはビックリしたよ。しかも、FAMILYMAN(ASTON “FAMILYMAN” BARRETT / THE WAILERSのメンバー / ベーシスト)も一緒だった。他にもTHE WAILERSのメンバーはいたと思う。

その時もBUNNY WAILERの時と同じように「初めまして、自分はDAVID RODIGANと言います、ロンドンでレゲエのラジオ番組をやってます」と挨拶したんだ。「明日自分の番組があります、ゲストに出演してくれませんか?」ってね。そうしたら、BOB MARLEYは曲を聴かせてくれたんだ。

●どの曲を聴かせてくれたんですか?

DR:待ってくれ。その前にまだ話したいことがある。BOB MARLEYは自分の問いに「そうか」といった様子だった。そのまま「新曲を聴くかい?」と言うから、「勿論です」と答えると上の階の部屋に自分を招き入れてくれたんだ。そして、BOB MARLEYが自分でテープのスイッチを押して曲を聴かせてくれたんだ。その曲を自分に聴かせながら「この曲のミックスはどっちに向いてると思う?」と聞くんだ、「AM局向けか?、FM局向けか?」ってね。それで自分は答えたんだ、「FM局向けだと思います」ってね。そうしたら、BOB MARLEYはその曲が入ったテープを自分に渡してくれたんだ。それで自分はその曲を世界で最初に自分の番組で流したんだ・・。

ドゥドゥンドゥン、ドゥドゥドット、ドゥンドゥンドゥン、ドゥドゥンドゥン、ドゥドゥドット、ドゥンドゥン・・、「Could You Be Loved」さ(小声で)。

その時にBOB MARLEYはインタヴューも録らせてくれた。世界先行で「Could You Be Loved」を自分のラジオ番組でプレーさせてもらったこと、BOB MARLEYのインタヴューも放送させてもらったことは、これまでの自分のキャリアの中でもハイライトの一つだね、間違いなく。

あとハイライトと言えば、AUGUSTUS PABLOの話もしたい。1984年、85年かもしれないが、自分はジャマイカでBARRY-G(ジャマイカを代表するラジオDJ)とサウンド・クラッシュをしたんだ。そう、それ自体がハイライトだけど、その時のAUGUSTUS PABLOが自分のためにしてくれたことは特に忘れらない。

そのクラッシュではレコードやダブ・プレート以外にもアーティストも参加させてよかったんだ。でも、自分は事前にAUGUSTUS PABLOには何も依頼とかはしていなかった。わかると思うけど、そういうタイプのアーティストでもないと思っていたし、KING TUBBYのスタジオで一緒になった経験はあってもAUGUSTUS PABLOとはそれぐらいの関係でしかなかったし。

会場は海辺だった。クラッシュしていたら、その途中で突然AUGUSTUS PABLOがやって来たんだ。自分がプレーしている時に、メロディカを手にして、ブースの中にやって来たんだ。だから「おいおい、何してるんだ?」と聞いたんだ。そうしたらPABLOはそのまま自分のプレーしたREAL ROCKのリディムに合わせてメロディカを吹き出したんだ。それで会場は大盛り上がりだよ。その時はもう自分でも何が起きているのかよくわからなかったよ。

あぁ、いいかい、止めてくれ。一晩中話し続けてしまいそうだ。君が話を止めてくれないとずっとこうやって話し続けるからいつでも止めてくれ。時間ももうないだろう。少し急ごう。今度は君の番だ。

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