• OVERHEAT MUSIC

HIP HOP は何処まで行けるか


text:有太マン

MC GAZAがパレスチナから来日、東京〜大阪〜福岡〜沖縄〜福島でツアーを行う。最初で最期の奇跡と言って過言でない初来日を祝う東京公演は、1000人以上収容のなかのZERO大ホールにて、10/28(月)18:45の開演。発端は、約30年間パレスチナやレバノンなどアラブ諸国に潜伏していた”伝説”、足立正生監督だ。ポスターデザインは、監督と共鳴する俳優・井浦新氏が手がけた。
その身で現代社会への異議申し立てを体現してきた足立監督が、なぜ今「ヒップホップ」なのか。監督の「慎ましく生きている側からの抵抗としてのお祭り」、「既存のモノを壊して自分のモノにすることの魅力」といった言葉は、10/25(金)に放送されたラジオWREP・ダースレイダー『GOOD WEEK』に、DELI氏と共にゲスト出演した時に語られた。

実は監督はイベント実現に向け、去る8月に高円寺で、DELI氏とK DUB SHINE氏を迎え、シンポジウム「HIP HOP Cafe」を2日間開催している。もう一日のゲストが荏開津広氏だった同シンポジウムは、ヒップホップの根幹に何があるか、パレスチナとブロンクス、そして東京の視点から検証する貴重な機会となった。
その文化生誕時には「リトル・ベトナム」と揶揄されていたブロンクスから、「青空監獄」と呼ばれ、世界のあらゆる歪みの結晶とも言えるパレスチナへ。

首都ガザの名前を背負ったMC GAZAのライブは、もうすぐそこ。
同ステージでマイクを握る日本が誇るコンシャス・ラッパーK DUB SHINE氏、現役の松戸市議・DELI氏、そして足立監督によって交わされた言葉たちをお届けする。

●まず、監督のラップ、そしてヒップホップとの接点をお話し願えますか。

足立正生(以下、足立):僕は中東への海外出張が長かったんですが、そこでヒップホップと出会ったということがあります。
それまでの若い頃には、ビートルズとかの系列から入っていって、74年にベイルートの街で『ホテル・カリフォルニア』を聴き、86年になってくると、だんだんまわりが難民キャンプとか、イスラエルの空爆とか、「どう生きていくか」という状況が続いていく中、アラブではアフリカと同じように民謡が歴史的にも浸透している。
でも実は歌える人は少なく8割は音痴と言われてて、歌の上手なやつに手拍子やダンスで乗るっていうのではなく、痛め続けられている側から、言葉を見つけようという感じで、シュプレヒコール風に「やられたらやり返す」とか、「絶対この政府を許さん」とか、そういう言葉が起こってくるわけです。
パレスチナ人を筆頭に、ものすごい量の移民、避難民が欧米にいるから、そちらから入って行ったと思うんだけど、ネットでしか繋がらない世界の中で、彼らが自分たちの言葉を見つけるように歌い始めたってことがあった。それはブロンクスほど優雅ではないですけど、もっと悲惨なところからこうやって始まるということがわかって、僕はそこに注目したんですね。
もう5年も前になりますが、カッコつきの「アラブの春」って、「独裁反対」という若者たちのデモが始まるきっかけになったのも、パレスチナ側ではドン・ジュアンという人がいて、彼がイスラエルとか自治政府とか自分たちの苦しさを、覆面でラップで歌って、それがイスラム世界全部に広がっていったんです。
エジプトでは、当時元空軍大将のムバラクが大統領をやっていて、ナイル上流の農地を軍の上級将校の高級住宅街に変えてしまったんですが、田舎にいるやつが覆面を被って自分たちを「ジェネラル=将軍」と呼び、「こんなもの許せるか」とラップを始めたんですね。それが全世界に拡散していきました。
同時に、アラブ世界はサッカーが国技で、勝っても負けてもグラウンドでチームが言い合うついでに「パレスチナ解放」って言って、それが街に出ると独裁者が一番怖がる状態になる。そのサッカー応援団とラップが一つになるとすごい勢いになって、ガーッと例のエジプトのタハリール広場まで、「もう黙っちゃいられない」と突進したわけです。
それまで政治勢力の人たちがバカにしていたネットカフェの若者と、サッカー応援団の若者がものすごい勢いで集まって、独裁政権の大統領も逃げ出したり、そういうプロセスを見て「ラップのエネルギーってすごいな」と。
それは自分の言葉だし、呻き声だし、呟きだし、叫びだし、そこから出たものは自分の表現で、これができるのがラップの特性だとわかって、それで非常に強くファンになったのがスタートです。

●自分の場合はPUBLIC ENEMYの衝撃が現在まであって、「どれだけ世の中で革命が起こせるか?」、「音楽でどこまでいけるんだよ」というのが問いとしてあります。
アメリカや日本のような資本主義の社会で、ヒップホップがその本質と社会構造の狭間を行ったり来たりしている状況があると思うんですが、そこで監督のように日本を捨てた方が、、

足立:捨ててないですよ(笑)

●そうでした(笑)。
とにかく、よもや監督の口から「ヒップホップ」とか、「MC GAZAを呼ぶ」なんて言葉が出てくるとは思いませんでした。
遂に、社会のあるべき姿のために身を投じてる姿勢とヒップホップが繋がってきた感覚があって、ヒップホップに元々あったピュアな初期衝動がパレスチナには強くあるように感じた次第です。
そこでお2人には、ラップ歴は何年ですか ?と聞くのもベタ過ぎる中で、どこから伺えばよいのか、、

K DUB SHINE(以下、K):30年。30年経っちゃいましたね。

DELI(以下、D):大先輩なんで、僕が言うのはおこがましいんですけど、アメリカではもう一定の役割を果たしちゃったということはあるかもしれませんね。それは、「ピュアな部分」ということについてですが。

K:アメリカ全体に「ヒップホップの精神」みたいなものが一般化したのかな。それは、ある一定の世代からは、特に。

そして、監督がヒップホップに気づくというのは、遅かれ早かれ社会に関心があれば、ヒップホップに気づかない方がおかしいから当然のことだと思うんだけど。
人種とか偏見とかそういうものに対しての差別をなくそうってことがヒップホップで広まって、今の、より広いLGBTとか移民の人とかにも想いを馳せるってことも、ヒップホップ以降の流れだと僕は思うんですね。

D:今はもっと格好とか、お酒、女とかが主流じゃないですか。でも、オバマが生まれたのもヒップホップを通過した先の結果だと思うし、黒人の社会における市民権は、ヒップホップ以降、社会として意識が変わったんじゃないかなと思いますね。

K:具体的に言うと、南部の白人が、黒人を黒人だという理由で下に見たり、人間として見ないってのはだいたいなくなりましたよね。教育というか、意識的なところで。そういうことは「ヒップホップがなくした」と思ってます。

●今や全米ヒットチャートもラップ・ミュージック絡みがほとんどになり、Amazonなんかも含めた総売り上げでラップがロックを超えたり、近年とんでもなく大きくなってきています。

K:ロックの時代は、アメリカの音楽を聴ける人が世界でも限られていたんですよ。経済的な余裕があったり、機器を買えたり、レコード買えたりする人が少なかった。
逆に今はスマホで誰でも聴けて、単純にマーケットが大きくなったという側面がありますよね。それは映画の興行収入の記録更新も、単純に上映する映画館が増えたからなのと同じ。
ロックが流行ったのは、50年代後半~80年代中盤までの30年くらい勢いがあって、ヒップホップは80年代中盤から盛り上がり始めてもう30数年でしょう。ここからまだ10〜15年は続くと思うんだけど。
ロックはイギリスの音楽で、ヒップホップは確実にアメリカの音楽なんですよ。アメリカはロックからヒップホップに乗り換えて、「これは世界に認められたオレたちの音楽だ」って言いたくて言いたくてしょうがないと思うよ。

●今したかった質問は、パレスチナみたいに今も爆撃されているような地域で生まれてきている、初期衝動のある「ヒップホップ」と、チャートを席巻するし、きらびやかな世界とも密接な、大事なものを失ってしまったかのような「ヒップホップ」に違いはあるのか。
あったとしてそれは何か?という。

足立:ヒップホップの起源は同じかもしれないけど、自分たちの実生活と結びついて生まれてきたものだから、それぞれのエリアで違いはあるわけです。
でも決定的なのは、スマホでやれたり楽器がいらないってことで、世界がグローバリゼーションになって、それに乗っかってやれるぐらいのラップの凄さってのが出てきてる、そう見たほうがいいんじゃないかなって思うわけね。

D:アメリカで生まれた時当初、楽器を自分で買えないとか、持たざるものが始めたわけで。

●クリエイティブの力で、ひねり出した。そしてそれをつくった人たちも、ここまで大きくなるとは想像してなかったと。

足立:アートも革命も最初はいつもそうじゃん。どの音楽もいつもそうじゃん。
ロックだって最初はうるさくて聴けないって言われたけど、15年も経ったら変わっちゃうんだよ。まさにアートのパワーだと思います。

K:どの国にも言葉はあって、ポエトリーを音楽に乗せるってのは昔からあるし、日本にも都都逸とか、韻を踏むという行為を現代的にみんながやりたくなったというのが、世界的な今の趨勢かなと。
僕が知りたいのは、パレスチナのラッパーがどうやってヒップホップと出会って、何を聴いて、何にどう影響を受けてって、そういうことですね。

足立:空爆されて占領されて、最初にパソコンを取り上げられるんですね。ネットカフェにしかパソコンがなくて、そこでアメリカとかヨーロッパの音楽を聴いて、「自分たちは世界と繋がってるぜ」という想いで、そこに向かって会話したいということで移民と言葉の交流が始まるわけですよ。欧米のラップを聞いて、追いかけて、自分たちにのものにするというプロセスが10年くらいある。

D:5年くらい前、『自由と壁とヒップホップ』という映画があって、そこにガザのラッパーが出ています。

K:以前エジプトとヨルダンに行ったことがあるんですけど、当時はブレイクダンスが流行っていて、古いラッパーのことは全然知らなくて、それでも2PACとか命を懸けて発するようなメッセージに憧れてるっていうのが、中東のイメージです。

足立:同じセンスで僕も受け止めました。そういう意味で言えば、呟きから、恨みつらみを叫ぶところまで、プロテストにあたるところは強い。
そういうものを共有できる素地が社会にできているんですが、なぜラップかというと、実は音楽はどうでもよくて、自分たちの想いがどれだけ繋がるかなんです。相手のサウンドを聞いたり、やりあってるんだけど、アーティスト同士は会いたい。それで壁を越えようとして、バレたら10年とからパクられるわけですけど。

K:相手の国籍とか立場を超えてヒップホップ好き同士は繋がれちゃう部分があって、「ヒップホップは国境を越えていく」というのは正しい言い方かなと思いますね。

足立:片一方でアイデンティティを大事にしていて、それがこの音楽のいいところですよね。

K:元々、アメリカでも公民権運動とかマーティン・ルーサー・キングJr、マルコムXとか、皆さん演説の天才なんですよ。
でもそれも、若くてチャラい子たちは聞こうとしないんだけど、かっこいい音楽に乗ってると聴いてみようとなる、それがラップのいいところ。
なんでアメリカでラップが流行ったかというと、ラップの歌詞って普通の歌に比べて文字数で7倍くらいなんですね。
その時代の現実を見ていた人たちが、歌の中では表現しきれないものを表現するのに、ラップがちょうど良かったんじゃないかなと思います。聴く方にしても、本と歌の中間みたいな感じで面白かったと思うんです。

足立:共通言語があるから、早口でも伝わる。

K:ただ、全部が全部怒りのメッセージというわけでなく、みんな貧しいとか共通点はあったので、そういうことを忘れて「今日くらいは楽しもう」というのもあった。
ヒップホップの起源にはそういうこともあるんです。

足立:お祭りをするということね。

K:若者たちに「こんなに楽しいことがあるんだ」って、より酷い道に行かないように居場所を与えるっていう意味もあって、「人種差別をやめろ」とか、「白人の警察を殺せ」とかってメッセージが出だしたのは比較的最近のことで。

●K DUBさんはヒップホップが発展する過程をつぶさに見てきて、日本で足りないもの、アメリカと明確違うものはありますか?

K:日本社会とアメリカ社会でここが大きく違うなって思うのは、人権意識なのかなと思います。 平均的なアメリカ人と日本人の人権意識を比べるとかなり違うんじゃないかって、まあ、歴史を考えると仕方ないかなって思いますけど。

足立:ラップの本質には民族問題が関わっているんだけど、日本のラップにはそれが見えないという提案が、ミシガン大で民俗学を教えている友人からありました。

K:原爆を落とされたのなんか明らかに人種差別だと思いますし、国際的な日本の立場を考えれば、自ずと見えてくると思いますけどね。
みんな勉強してないだけというか、意識が低いから勉強もしない、勉強もしないから意識が生まれないって負のスパイラルを日本には感じてますけど。

●DELIさんが松戸でラップを始めたきっかけ、その背景についても伺いたいです。

D:僕は家庭環境とかで落ちこぼれだったというわけではなく、社会に居場所がなくて、ヒップホップのコミュニティが受け入れてくれたということが大きいです。
立候補して議員やってるのも、そこを通ってなかったらそういう想いにもなってないと思います。「本質的なことを考えろ」ってのがヒップホップにはあるじゃないですか。

K:87、8年くらいまではアメリカのヒップホップにもそんなに意識が育ってなくて、もっと割と、「彼女が一人いればいいじゃないか」、「本当に信用できる友達はどれくらいいるんだ」とか、「成長とはやりたくないことをやることなんだぞ」ってことを、Whodiniはラップしてました(笑)。

●NASもサンプリングした『FREINDS』ですね。DELIさんは第一線でラップしてきて、アメリカとの違いを感じることはありますか。

D:あんまり、あれが違うとか言うのは好きじゃないんですけど、これは、だからこそ自分で立候補したいみたいなところがあって。
原発事故以降、いろんな社会問題を見るようになったんですけど、その中で「自分に何ができるか」と考えた時、放射能の問題に関しては歌をつくってみんなの意識を変えるとかよりも、「直接的に操作したい」という意識がありました。そしてその時、間違いなく、その背中を押してくれたのがヒップホップでした。

K:DELIもオレも、最初はただ「ラップが格好いい」というところから始まって、やっているうちに、こんなにいろんな人がオレの言うことを聞いてくれるんだって気づき始めるんですよ。
それなら「もっとちゃんとしたことを言わなきゃいけないな」って、意識が育っていって。

足立:「ラッパーになりたい」というのは、ビッグになりたい、有名になりたいってのも全部あって、ファッションというかヴィジュアルもあって、今どこまできているのか、ここまできたら「ラップは定着している」とも言えるんですけど、もっと進むんじゃないかと思うんですよね。

D:そうだと思います。僕、ラップもしてますけど、議員していてもヒップホッパーだと思っています。

K:ヒップホップ・コミュニティを代表して、政治家をやっていると。

足立:例えばパレスチナでは、ブレイクダンスをしていた人がパルクールの方を選んでいます。それがしかも、イスラエルと対抗するのに、重要なレベルにまでなってきているんだけど(笑)、その人たちが泥棒集団になっていて、もう一回立ち戻ってくれたらと思っても、もうラップとか歌ってくれたりはしないんですよね。

K:ラップを始めても続かない人はいっぱいいて、「これを仕事にしていく」って決めないと、手前味噌で恐縮ですけど、25年とか30年はなかなかできないかなと思います。途中で迷いも出るしね。

▼▼次のページへ▼▼


ページ: 1 2