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ジャマイカ音楽の影の功労者、グラディの遺作 『カリビアン・ブリーズ』


Interview by Riddim

名作“グラディ”アンダーソンのピアノ・アルバム『カリビアン・ブリーズ』が31年という長い時を経てついにアナログ化された。このアルバムのエグゼクティブであり、80年代初めにジャマイカを舞台にした映画『Rockers』の日本配給を行い、1984年から始まったジャマイカ詣でが高じて87年にジャマイカでレーベルを始め、90年代になるとジャマイカの大人気アーティスト、スリラーUのマネージメントやプロデュースなど、当時としては異色の体験をしてきた石井志津男に、このアルバム制作の裏話を聞いた。

●なぜ、わざわざジャマイカまで行ってジャマイカ人のアルバムを作ることになったんですか?

石井志津男(以下、EC):このグラディのアルバムを作る3年前だから86年だけど、「アンダー・ミ・スレンテン」で世界的なヒットを出して、レゲエの流れを変えたウエイン・スミスは知ってるよね。彼のシングルを、Men’s BIGIのためにレコーディングしたり、それ以降もキングストンに行ってクリスマス・アルバムを作ったり、Mute Beatの『DUB WISE』というリミックス・アルバムのためにKing Tubbyに制作を頼んだり、オーガスタス・パブロ、バニー・ウエィラー、フランキー・ポール、デニス・ブラウン、ボブ・アンディ、マイティ・ダイアモンズ、グレゴリー・アイザックスなど当時の錚々たるアーティストのライセンス・アルバムは10枚くらい出していたし、マイティ・ダイアモンズを来日させて野音ライブをレコーディングして発売までしてた。日本人ものは、イギリスのフォノグラムでデヴューしたSALON MUSICというデュオやMute Beatをレコーディングしてたから、まあ流れとしては自然なんだけど。

●そうは言ってもジャマイカにもたくさんのアーティストがいます。なぜグラディに決めたんですか?

EC:その時はすでにグラディの才能に気づいていたってことかな。『Don’t Look Back』というアルバムと、ハリー・ムーディーの『カリビアン・サンセット(原題:It May Sound Silly)』という2枚を日本でリリースしていたし、もっというとグラディを来日までさせてGladdy meets Mute Beatというコンサートも大盛況のうちに終えていた。
 そのころは手紙が2週間くらいかかるんだけど、オーガスタス・パブロとグラディの2人とは手紙でやりとりしていて、キングストンに行ったら必ずグラディにレコーディングをヘルプしてもらってたから、かなり仲良しになっていた。とにかくアルバムを作りたいというグラディの強い押しに負けたし、その頃はOVERHEATというレーベルがキャニオン・レコード内にあって年間何枚かを出す契約になってたから、俺も実は作りたかったということ。

●なるほど、レコーディングしようというきっかけは何だったんですか?

EC:キングストンでよく泊まっていたホテルが、昔は荘園だった旧コートリー・ホテル。そこのプール・サイドに丸いカウンターのバーがあって、時間があると昼間っからグラディたちとそこでビールを飲みながらグダグダとジャマイカの昔話を聞いていたんだ。
夕方になるとラジオからアルトン・エリスとかデルロイ・ウイルソンのロックステディやジャマイカン・オールディーズがいい感じで流れてきて、グラディが「この曲は俺がやった、この曲もこの曲も」とか言い始めて、それでも半分は嘘だろうとか思いながらもアルバムを作りたいねって話になったんだ。まあ、いい曲とビールで話が盛り上がったってことだね。
でも実際に始まるのはそれから3年かかったんだけどね。
スタジオは、グラディが一番いいタフゴングを使いたいと言うし、というか打ち込み旋風が吹き荒れていてJammy’sの一人勝ちみたいな時代。だからもうスタジオから生ピアノが無くなってて、実際に探しても調律してあるピアノはタフゴングにしか無かったんだ。グラディは、とにかくアルバムを作りたいもんだから「ローランドでもいい」って言うんだけど、俺はどうしても生ピアノで作りたかった。ミュージシャンは全部グラディが決めて、ホーンのリクエストだけは俺がして。

その頃は、暗くなってハーフウェイ・トゥリーのスケートランドの広場に行くと、灯りもない暗闇の中に20人くらいがうろうろしてて、最初はちょっと怖くておそるおそる行くんだけど、マイティ・ダイアモンズのバニーとかグレゴリィ・アイザックスとかが普通にそこに突っ立ってるんだよ。俺の愛聴盤の大スターがそこにいるんだよ。
それで「明日どこそこのスタジオに来てくれ」って約束するとちゃんと現れる。
まだ電話が全家庭にない時代だったから、隣の家の電話番号をくれて「呼び出してくれ」って言われたりね。だからそのスケートランドの広場が彼らの情報交換の場だったんだと思う。暇そうなやつに「サックスのディーン・フレイザーに今夜9時にタフゴングに来るように」って伝言を頼むと、そいつは歩いて暗闇に消えていくんだけど、、、ディーンと一緒にナンボ・ロビンソン(トロンボーン)までスタジオに現れるっていう俺にとっては何もかもがすごく新鮮で面白い時代で…..

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