• OVERHEAT MUSIC

Steven ”Lenky” Marsden
Mr.Diwali


Text by 馬渕信彦Nobuhiko Mabuchi Photo by Y.Yoneda(Cotton Club), Portrait by EC

伝説がプレイバックされた『Steely & Clevie’s Legacy Tour』でSteely役を見事にこなし、キーボードを演奏したSteven ”Lenky” Marsden。Sean Paulの世界進出を後押しした「Get Busy」、Wayne Wonderの鉄板ラブソング「No Letting Go」でお馴染みのモンスター・リディム〈Diwali〉を発明したプロデューサーであり、Buju Bantonのオリジナル・バンドTil ShilohをはじめSly & Robbieプロダクトなどでミュージシャンとしてもレゲエ史に名を刻んできた男だ。LumideeやNina SkyなどUSアーティストとも仕事をこなし、現在も世界中を飛び回っている彼に緊急インタヴューを敢行。「普段は取材を受けない」と言うLenkyだが、今回は特別に自身のキャリアから音楽家としての価値観をみっちり話してくれた。

●Steely & Clevie’s Legacy Tourに参加した感想は?

Lenky(以下、L) : まず、僕にとってSteely & Clevie は先生みたいな存在なんだ。僕が子供だった80年代はSteely & Clevie のビートやリディムが世界を席巻していたからね。彼らが創り出したダンスホール・リディムを聴いて育ったし、音楽をプレイしたりプロデュースするように勇気づけてくれたのも彼らだった。だから今回のようにClevie と来日できたことは、僕にとって素晴らしいことなんだ。バンドメンバーも最高だった。Clevie のお兄さん Danny Browne も今回ギターで参加したんだけど、彼は素晴らしいプロデューサーであり、リディム・メーカーであり、ミュージシャン。Skatta は Bloodfire Posse のメンバーで、素晴らしいシンガーだ。そして Owen Bassie も素晴らしいベーシスト。多くのヒットソングのベースを弾いているしね。今回のバンドメンバーは素晴らしいミュージシャンというだけではなくて、個々に素晴らしいスタジオ・ミュージシャンでもあるんだ。

●ゲスト・ヴォーカルのLeroy Sibblesについては?

L : Leroyはジャマイカを代表するシンガーでありベーシストで、スタジオ・ワンに多くの名曲を残している。あのソングライティング力は別格だね。レゲエの歴史を築いてきたアーティストと一緒に演奏できて、とても光栄だよ。

●今回はSteelyのパートを担当したわけだけど、演奏してみて改めて想うことは?

L : グルーヴがあって、ベースラインが最高に素晴らしい。僕もSteelyが創り出したキーボードのフレーズや音色が大好きなんだ。キーボードの中でも、とても変わった音を選ぶのが彼の特徴。普通では考えないような音を使ってフレーズを弾くんだ。Yamaha「DX100」のピアノサウンドとか、機材のチョイスも独特だよ。

●Casioのキーボードも使っていたし。

L : そうだね。今回のツアーで僕も使ったけど、サウンドがいいね。これからも使っていこうと思っているよ。RolandやKorg、そしてCasio、僕はいろいろなキーボードをプレイする。ジャマイカ音楽の歴史に深く刻まれているビッグ・リディムはCasioの音だしね。

●Steven ”Lenky” Marsdenとして、どうやってキャリアを築いていったのかも聞かせて。

L : まだ自分が学生の頃だと思うけど、’84年くらいにSteely & Clevieが手掛けたリディムにインスパイアされて、自分でピアノを弾くようになったり、音楽を奥深く聴くようになったんだ。Steely & Clevie の曲はとても楽しい音楽だから、そういった音にどんどん惹かれていった。Sly & Robbie の音ももちろん好きだけど、Steely & Clevieの音楽はもっと若者向けというか、若い世代に向けた若い音だったという印象。ダンスホール・リディムに革命を起こしたのは、間違いなくSteely & Clevie だからね。

●キーボードは独学で?

L : そうだね。音楽の学校に行ったり本格的にピアノを習ったりしたことはない。レコードを聴いて上手いプレイヤーの演奏を参考にしたり、本を買って勉強もした。あとは音楽の先生のところにいって質問したり。そうやって、徐々にスキルを身につけていったんだ。

●Lenkyのお婆ちゃんが音楽をやっていたと聞いたけど、ミュージシャンだったの?

 

L : 父方の祖母がピアノやヴァイオリンの先生だったんだ。母方の家系はキューバからの移民で、兄弟がラテンピアノを弾いていてマイアミのサウスビーチとかで演奏していたらしい。そういうミュージシャンの家系に育ったのも、いま考えると自分のキャリアに影響を与えているのかもしれないね。

●Lenky はキングストン生まれなの? 

L : そう、St. Annで1971年に生まれた。

●キャリアの話に戻るけど、実際にミュージシャンとして活動するようになったのは?

 

L : 学生時代にオーチョリオスとかネグリルとか田舎でピアノを弾いてたんだけど、その頃にSheldon Bernardに出会ったんだ。彼もキーボーディストなんだけど、僕が演奏しているのを観て、いろいろな人に自分を紹介してくれたんだ。「Lenkyはいいキーボーディストだ」ってね。そうやって若い僕に仕事をくれて、ジャマイカのローカルでやる『Tastee Talent Show』ってタレントショウで演奏させてもらったりした。で、学校を卒業してからもキーボードの練習を積んで、いろいろな人とのリンクを重ねていく中で出逢ったのがLloyd Parksなんだ。‘88~‘89年頃かな。ご存知We the People Band だね。それが僕にとって最初のビッグなバンドだった。Dennis BrownやAlton Ellis、そしてLeroy Sibblesの演奏もしていたからね。このバンドで演奏しながらテクニックを習得していった感じかな。あとはHandel Tucker、Tyrone Downey, Franklyn ”Bubbler” Waul といった優秀なキーボーディストたちが、どう演奏をするのかを想像して練習したね。

●Steely & Clevieとの出逢いは? 

L : SkattaのバンドBloodfire Posse のキーボードだったAlden “Trapper John” Stewart が抜けて、後任を探しているって聞いてオーディションに行ったんだ。そこでDanny (Browne)とClevie に出逢った。音楽をやっていると、そうやって人と繋がって上に上がっていけるもんなんだ。Lloyd Parks もそうだし。数多くのミュージシャンやアーティストに影響を受けながら、自分でTee 3ってバンドを組んだり、Danny BrowneのMain Streetスタジオにも呼んでもらって仕事をしてきた。細かい事すべては覚えていないけど、いろいろな人に助けられてここまで上がってきたと思ってる。

●Donovan Germainの『Penthouse』でも大きな仕事をしてきたのでは?

L : そうそう、『Penthouse』で仕事するようになったキッカケは、Germain がキーボーディストを探していてDean Fraiser に相談したみたいで、僕のところに連絡が来たんだ。当時のアップカミング・アーティストだったBuju Bantonのオリジナル・バンドのキーボードを探してるってね。それでTil Shiloh バンドに参加したんだ。他にもBeenie Manがいた『Shocking Vibes』のPatrick Roberts とも仕事をしていたし、Sly & Robbieや『Main Street』スタジオの仕事も多かったね。

▼▼次のページへ▼▼


ページ: 1 2