• OVERHEAT MUSIC

日本人プロデューサー3作品をリリースした教授
from ROCKERS ISLAND


Text by Keitaro Kitano 北野啓太郎

200%国産レゲエを軸に、日本人のみのプロデューサー作品をコンパイルした3作品、『RIDDIM ISLAND』『IRIE ISLAND』『MUSH UP ISLAND』をリリースした教授 from ROCKERS ISLAND。教授を通じて見る、今のダンスホール・シーン。

●まず教授本人について聞きたいのですが、レゲエ・シーンへ足を踏み入れたきっかけは?

教授 from ROCKERS ISLAND(以下、K):時代的には2000年頃。当時、自分は京都で学生生活を送っていました。まわりはHip Hopを聴いてる人が多かったのですが、レゲエに注目していた人達から音源を借りて聴いているうちに、日本人もジャマイカ人もかっこ良過ぎてどっぷりハマってしまいました。それから京都のイベント「SKAっとREGGAE」や、大阪のクラブI TO Iにもよく行っていました。同時にレコードも買いはじめていて、レコ屋から送られて来る新譜のリストは楽しみでした。よく買っていたのはCISCO。ROCKERS ISLANDは7インチの量も凄くて、詳しくないと行けないイメージがありフラッとは近づけなかったんです(笑)。 
そうこうしているうちにSean Paulが世界的にヒットしたり、ビッグリディムDiwaliが登場したりで、レゲエ熱が世間的にも一気に上がっていって自分の中でもどんどん過熱していきました。

●大学を卒業して、就職しなかったんですか?

K:全然就職しようと思わなかったです。Mighty Crownがクラッシュで海外チャンピオンになってたり、Home Grownバンドは世界基準だと聞いたり、日本人なのに皆すげーなぁって喰らっていて、とにかくレゲエをもっと詳しく知りたくて関われる仕事をしようと、クラブやレコ屋、レゲエ居酒屋などへ「働けませんか?」とアタックしました。履歴書を送ったりしながら、とにかくジャマイカ行ってみたいと土方のバイト等をしながら貯金してましたね。そうこうしてるうちに2004年秋、ROCKERS ISLANDにメールを送ったら、たまたまバイトが1人やめるというタイミングだったので、アルバイトとして入ることが出来ました。ちなみにそのメール内容がきちんとしていたということで、当時の店長だった朝倉さんに”教授”って名付けられました。

●ROCKERS ISLANDでは、これまでどんな事を?

K:はじめのうちは、社長のタッカーさんから「いつ辞めるの?」って言われてたんです。自分は最初バイトだったし、レゲエ一本で食べて行けるなんて想像できなくて、かたわら国家試験の勉強もしてたんです。だけどレゲエへの情熱は高まるばかり。どうせやるならガッチリやろうと思い、社長にお願いして社員にしてもらいました。ショップ・スタッフから店長に。昔のお客さんはコアだったので、負い目とプレッシャーでいっぱいでした。ただ、タッカー社長は「何でもやりなよ」って言ってくれていたので、すべては自分次第だったんです。ROCKERS ISLAND Mix CDの制作も担当したり、個人的に京都でイベントも主催しました。そして、2006年末にウェブマガジンROCKERS channelがはじまり、コラムを連載。2007年には大阪店が路面に移転し、広くなったスペースで店内イベントも増えていきましたね。2010年には、大阪でレギュラー・イベント「A-Young(えーやん)」をRisky DiceとBreak Jamと一緒にはじめました。2011年には、HISATOMIがROCKERS ISLAND所属アーティストとなり、制作などを一緒にするようにもなりました。『RIDDIM ISLAND』シリーズは、その「何でもやりなよ」チャレンジの中のひとつです。

●レコードからCD、そして配信へ。流通とお客さんの変化について。

K:毎日の変化なので違和感はないんです。ただ振り返ってみると、レコードがメインだったのにCDJの流行でレコードが減り、2年前からジャマイカのニュー(レコード)も無くなりました。時代のターニングポイントはMix TapeからMix CDの変革期です。ここでどっとMix CDブームが訪れました。お客さんの変化としては、リディムで語り合うような接客がなくなりました。昔は、ニューチューンもファンデーションも、1リディム1リディム、1曲1曲への注目度が高く、お客さんとは常に切磋琢磨。今はBGMを求めにくるお客さんも多いので、希望の雰囲気にあった作品を提案しています。最近の傾向で面白いのは、中学生・高校生のお客さんが増えたことです。YouTubeで見つけたお気に入りの曲を見せてくれるんです!
ダウンロード販売に関しては、「レコード屋が音楽配信なんて…」とためらっていた時期もありましたが、ジャマイカ人がばんばんネットを駆使してくるので、2〜3年前からROCKERS ISLANDのレーベルKOYASHI HAIKYUを通じて配信リリースしています。全ては自然な流れ。お店として、お客さんのリクエストに対応しています。ただ店頭にレコードやCDを求めに来られるお客さんと配信をダウンロードされてるお客さんとは区別化されてるように感じます。

●Koyashiレーベルからの『RIDDIM ISLAND』シリーズの3タイトルをプロデュースしました。本シリーズの概略を教えてください。

K:軸は「200%国産レゲエ」です。日本人プロデューサー達のコンピレーション・アルバムです。レゲエの発祥はジャマイカですが、このシリーズはリディム・メーカー、アーティストなど全てが日本人。また、アルバム・ジャケットなどのアートワークも、ムラサキさんに描いてもらっています。

●これはどんな気持ちで挑みましたか?

K:自分自身初のプロデュース作業だったので、毎回勉強させてもらいながらの取り組みでした。1作目は右も左も分からない中でのチャレンジでしたが、プロデューサー、アーティストの皆さんに多大なご協力を頂き、評価が頂けたときは嬉しかったです。2作目からは期待されている分、それに応えないといけない。3作目は3部作の流れを意識しました。3作とも毎回気構えは違いましたね。

●なぜ『RIDDIM ISLAND』をやろうと?企画立案までの流れを教えてください。

K:「日本人のリディムは、やっぱりジャマイカモノにはかなわない」。昔はそれが常識でした。ですが、2007年に大阪のトラックメーカーDaddy Dragonの制作曲「Go Away」が、ジャマイカの現場で突然掛かり出してBUSSしました。そんな頃、自分もリディムを作ってみたいと考えていて、上司だった朝倉さんから「ジャマイカのプロデューサーSeraniが使ってるファントム(キーボード)買えや」とアドバイスをもらいました。そうやってリズムを作るようになってDaddy Dragonとも良くリンクするようになり、一緒にROCKERS channelでリディム制作講座の企画もやりました。それが大反響で、「日本人プロデューサーに注目したら面白いんじゃないか?」と思ったのが、『RIDDIM ISLAND』企画誕生の瞬間です。

●自分もトラックメーカーとして参加したかった?

K:それは恐れ多い感じでした!『RIDDIM ISLAND』に参加頂いた方以外にも凄いプロデューサーさんは沢山いるのに、ぺーぺーの自分がはいったらダメっすよね。そうは言いつつ今回の3作目は作りたい曲のイメージがあったので、ギタリストのYotaにも手伝ってもらって2曲参加させてもらいました。

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