• OVERHEAT MUSIC

Tha Blue Herb ILL-BOSSTINO(#1)


Interview by Shizuo Ishii 石井志津男 Photo by Yoshifumi Egami

Tha Blue Herbが東京でLiveをすると聞きつけて、当てにしていたライターとTha Blue HerbのフロントマンILL-BOSSTINO(以降BOSS)とのスケジュール調整をしていた。だが、BOSS側から「札幌行きフライト前に恵比寿周辺で」とのリクエストになり、うまく調整できずタイトな時間の中で実行。実を言えばこのインタヴューの日は8日〜10日までの3日間に渡って吉祥寺、下北沢、代官山で全力のライブを行ったその翌朝、つまり2013年の3月11日だ。11時に恵比寿の某ホテルでBOSSをピックアップ。さっそくクルマの中の世間話から録音開始。

●よくBOSSのMCで1945年が出てくるね。

BOSS(以降B):1945、この国にとっては重要な年ですよね。

●実はね俺1945年生まれ。戦後生まれだと自分で思ってたのが8月15日の終戦前の生まれだからさ、正確に言うとちょっとだけ戦中派っていうことに気がついて(笑)。

B:どこで生まれたんですか?

●千葉の鴨川っていうところです。

B:いやぁでもそれ、街が街だったら死んでたかも知れないでしょマジで。

●上空を東京空襲に行くB29が毎日バンバン飛んでって東京の空が真っ赤になったとは親に聞いてるよね。
 それと、予定してたライターなんだけど、やっぱり福島で線量測る仕事みたいのをやってるらしくて、昨日は東京にいたけどもう今日は福島に行ってて、全部は俺も分からないけどもう何ヶ月もやってる。本当に彼はもの凄くBOSSのインタヴューをやりたくて「なんとかなんないすか?」って言ってきてた。でもBOSSからのメールで今日と言うとんでもない日(3月11日)って言われたら、今度は俺もRiddim Onlineとしてマジで断れなくなっちゃってね。それでよし俺がやろうと思って、インタヴュアーとしては史上最低の部類でね、自分のことをしゃべっちゃったりして不得手だってのはすごく分かってるんだけどさ、でも今回は失礼だけど是非やらせてもらおうと思って。

B:いえいえ光栄です。相変わらず、スケボーやってんすか?

●あっはは、やってる(笑)、八王子にあるコンクリート・パークで森田(FESN)と会っちゃったりするんだよ。去年の夏、タオル被ってヘルメットして狂ったようにものすごいスピードでプッシュしてるやつがいて誰かなと思ったら森田なんだよ。実は情けないことにこの前、森田に電話して「BOSSのインタヴューするんだけど、自信がなくて大変なんだけどさ」ってジジイが若者に相談、そしたら「俺行っていいですか?」って、だからあいつ来るかもしれないよ。

B:出たっ、、、最近あんま会ってないんだよな森田君と。毎日お互い忙しくて。

●言ってた言ってた、「俺会ってないんだよね」って。

(編集注:森田貴宏はFESNを主宰しブランドLibe Brand Univs.をプロデュースするスケーターであり映像作家としてもTha Blue Herbの『演武』『That’s The Way Hope Goes』『Straight Days』『Total Works』の映像4作品を監督している)

とそんな話をしているとクルマは青山のOVERHEATに到着。時間もないからインタヴュー中も写真撮影をすることにして、先ずはRiddim Onlineの説明。

●写真を撮るけど、やっぱ写真に関して言えばWEBっていうのは情けなくて、紙でやってた(Riddim誌)ようなクオリティではちゃんと使えてないんだ(カメラマンの権利を守るため大容量では使用してはいない)。WEBはこれでちょうど二年かな、一昨年の4月1日、エイプリルフールにRiddim Onlineを立ち上げたんだ。

B:じゃあ3.11のあとに、直後で?

●そう、3.11の後だ!元々そうしようと決めてたんだけど、あと3.11もあってね。

B:沼田さんの連載超好きでしたよ俺、ニューヨークのHip Hopの、あれだけはHip Hop色濃かったですよね、しかも現場の話で、結構見てたな。

●ありがとう、じゃあ時間が無いんで、それではインタヴューいきます。俺はすごく熱心なBLUE HERBファンじゃないから、ごめんね。

B:大丈夫です、そういう人にも伝えたいので。

●音楽の事と音楽じゃ無い事も是非聞きたいなと思ってはいます。リリックを読んで深い事で本当にスゲえなと思ってる事がいくつかあるんだけど、このあと空港に行く限られた時間だから、まぁちょっと今日はそこまでいけないかもしれないと思ってるんですよ。

B:はい。

●で、一昨日の下北のLiveがソールドアウトでチケットを買えず、招待にしてもらってありがとうございました。

B:どうも。

●あの時やった曲で、タイトルが分からないんですけど原発のことを歌ってる曲があったじゃないですか?

B:はい、あれは「NUCLEAR DAMN」っていう曲です。

●あれをLiveで聴いてやばかった。ほとんど僕なんかでも思ってるようなことを言ってくれてると思ったのね。で、自分の事を言って申し訳ないんだけど、あそこにあるアルバム(『NO NUKES』)を見ながら)、1979年にNYのマジソン・スクエア・ガーデンで、あのコンサートをたまたま観ちゃったんです。「なんのこと?ノーニュークスって何よ?」みたいな状態でしたが、その後でLiveアルバムを買ったりとかして、何年かしたら今度はチェルノブイリ事故が起きちゃって、その頃マネージメントしていたMUTE BEATっていうバンドのアルバムでスリーマイルの写真を使ったりとかしてずっと問題意識だけはあった。でもそれは拳を振り上げるんじゃなくて、一般の俺たちも意識してるぞっていう意思表示ね。相手はものすごく得体の知れない敵と言ったらいいかどうかも分からない、システムって言うのかも分からない、なんかそういうものには普通だと歯向かえない、気がつかない、敵って分かるんだったら戦うこともできるかもしれないけど分からないぐらいの、なんか普通に吸ってる空気ぐらいすごい存在だと思う。そういうのと戦うには、本当に八百屋のおやじとか、要するに俺みたいな普通なやつ(笑)まあそういうやつが意識を持つっていう事だけだと思うんだよね。

B:いや、そうですよね、そう思う。

● BOSSのリリックを聴くとそういう事をきちっと言っていて、ああいうすごいリリックを書くあなたを生んだ両親とかが気になってね、家族のこととか話してもいい範囲でそれを教えてもらえたら嬉しいんだけど。

B:両親からは無論思想的な面もありますが、何というか、自分の思想をどう使うかっていう面で大きな影響を受けてますね。結構今思えば保守的な田舎町だったんですが、周りに属さずに自分等のペースで生きていた家庭だったと思います。自然食とかも80年代には既に取り入れてましたし。割とガキのころから保守というよりかは革新というか、マスというよりコアというか、自然とそうなってきたっていう感じなんですよね、だから本当に人と違う意見を言うって事が、信じている事であるのならば「是」なんだよっていうか、そうするべきだよ、どんどんやんなよみたいな事をずっとガキの頃から教えられていたような気がする。だからずっと変わってないですね俺的には意識が。マイノリティだけど全然、正しいと思ったんだったら周りに流されずに絶対言った方が良いよっていうのを、今、もう41なんだけど、ずっとそれが消えずに自分にある。そう教えられたのをそのままやってるっていう感覚が強くて、だから原発に関してもどう見ても無いでしょみたいな。もちろん「チャイナシンドローム」も見たし、チェルノブイリ事故もあったけど、でも俺は函館のすごい田舎に住んでたから、俺のガキの頃っていうのはまだそこまで、その周りに覆ってる空気ってところまで敏感に感じられてなかった。それがまた彼らのすごい頭の良いやり方ってとこなんだけど、俺たちの知らない所に完全に根を張ってる最中だったっていうか、気付いてなかったっすね、そこまで巨大なものだっていうのは。

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