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スケート界のレジェンドカメラマンJ. Grant Brittain


Interview by CB Ishii (石井洋介) Photo by J. Grant Brittain

J. Grant Brittain has been a photographer since picking up a camera in 1979 and pointing it at some of the world’s best skateboarders. He helped found Transworld Skateboarding Magazine in 1983 and was the sole photo editor there until 2003. In 2003, Grant and a few of his buddies jumped ship and started The Skateboard Mag where he remains today. When not shooting skateboarding, Grant is creating photographic art with subjects ranging from portraits to nature, the environment, abstracts, signage and night photography

●生まれた所、生まれた年は?

J. Grant Brittain(以下、G): 1955年生まれで今年59歳になるよ。ビーチまで20マイルのFallbrookというアボガドとシトラス・オレンジで有名な街で生まれた。農園コミュニティーだね。10歳のクリスマスの時に母がBBガン、トランシーバー、スケートボードの豪華3点セットをくれたのがスケートボードを始めたきっかけだ。

●スケートボードの写真を撮り始めたのは?

G:小さい頃からアートが大好きで、学生時代も2年間アートを専攻していたんだ。カートゥーンが好きだったから僕はカートゥニストになろうと思ってた。エンシニータス(南カリフォルニア)に住んでいた学生時代に、隣に住んでいたのがCastor SkateboardのライダーだったTom”Wally”Inouyeで、彼がDEL MAR SKATE RANCHのパーク設計を手伝っていた関係で、僕の誕生日パーティーにデッキとそのパークで働ける仕事の話しを持ってきてくれた。Tomは70年代~80年代初めまで活躍していたベスト・スケーターの1人だよ。ネットで検索してみると出てくるよ。
78年8月にDEL MAR SKATE RANCHで働き始めると、そこで沢山のスケーターやフォトグラファーを見かけるようになり、上手いスケーターの写真を撮ってそれが雑誌に載るなんてクールだなって興味を持ち始めたのがきっかけかな。
79年2月にルームメートからCanon AE-1のカメラを借りて撮ったんだ。だから最初は遊びで撮ってたんだけど、次に住んだルームメートがSonny Millerというサーフとスケートを撮っているファトグラファーで、僕と同じカレッジに通っていたんだ。彼はフォトグラフィーを専攻していたから「どれか撮った写真を現像してみれば?」って言ってくれて、それまで現像なんて1度もした事がなくてネガだけしか持っていなかったんだ。ルーペも何も持ってなくてただ太陽の光を当てて見る事しかしてなかったから暗室に入って現像して、出てきた写真を見た時はショックで「ウォー!!これが僕のやりたい事だ!」って叫んじゃった。確信したんだよ。そこからはアートのクラスを一気に全部キャンセルして、写真のクラスを3つ取ったんだ。それからは毎日暗室が使える朝から夕方まで籠って、そこからスケートパークへ働きに行ってた。当時は夜中に不審な奴が侵入してきてプロショップに強盗が入ることもあったから、泊まれば家賃も浮くし8ヵ月間スケートパークのビリヤード台をベッド代わりに寝泊まりしていたこともあったよ(笑) 。
そうやって写真にハマッてローカルを撮り続けていたから、トニー・ホークがまだ小さい時から撮ったし、DEL MARに来るプロもアマも撮った。まったく趣味で始めたんだけど、完全に引き込まれてしまったんだ。

●当時のカメラマンや雑誌はなんですか?

G:当時の僕はStecyk, Friedman, Cassimus, Terrebonne, Goodrich, Bolster等の70年代のフォトグラファーに憧れていたよ。「ポートレートを撮れるか?」って聞かれたら「NO」って言いたくなかった。「ブツ撮り出来る?」って言われたら「もちろん!」って答えたかった。だから何でも撮れるように授業は全て取ったんだ。僕は自分に限界を作りたくない。あれ?質問はなんだっけ?

●「その頃のカメラマンは?雑誌は?」です。

G:ははは、そうだそうだ(笑)さっき挙げた人達とあとはMOFO, それから数年するとBryce Kanights, Chris Ortizとかが出てきたかな。僕はサンディエゴを中心に撮っていたからね。当時Thrasher Magazineがスタートして、、たぶん5,6枚は掲載してもらったかな。「Tony Hawkの写真が欲しい」って言われたりして送ったよ。
それで83年にはTransworld Skatebording誌がスタートして僕はそこに携わることになった。

●あの有名なビデオ「Animal Chin」はスケートを世界的にポピュラーにする画期的な作品だったと思います。僕も子供の頃に何度も何度も観ました。あの映画のスティル・カメラマンをやったのですか?それともたまたま撮りに行ったのでしょうか?

G:さっきの話しの続きになるけどTransworld誌はLarry BalmaというTracker Trucksのオーナーが友人と共同で始めたんだ。僕は83年にTransworldが立ち上がるまではまだDEAL MARパークで働いていたんだけどLarryが「”Newsletter”を始めるのに写真が必要だから手伝ってくれないか?」と誘われたんだ。僕は承諾したけど実は”Newsletter”というのは暗号でTransworld誌のことだったんだよ。そんな関係で「Animal Chin」は86年に撮影したんだけど、(監督した)Stacy PeraltaはThrasherのMOFOにはPink MotelやハワイのWallowsの撮影をさせて、Transworld誌の僕にはAnimal Chin Rampを撮影させたんだ。そうすることで監督のStacyは 「Animal Chin」が色々なメディアに掲載されるように振り分けたんだ。僕はAnimal Chin Rampのシーンで4人を同時に撮影する事が出来たから幸運だったと思うよ。

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